思うこと言わねば腹ふくる…。

どうせ生きるなら、言いたいこと言って、やりたいことやってみる。そんな日々を綴ったブログです。

年末年始に感じたこと

2016年は早くも1週間が経った。大学も始まり少しずついつものルーティーンに戻りつつある。いろんなことがあった年末年始だったからここらで振り返ってみることにする。

バイト、バイト、バイト…

今年の年末は23日から冬休みが始まり、そのほとんどをバイトに費やしていた。悲しくも彼女がいないからクリスマスもバイトだった。しかしバイト納めだった30日にはなんだかやりきった感覚が残っていた。

鼻水、痰が止まらないよ

珍しく体調を崩した。結構熱もあってその期間のバイトは倒れそうだった。しかし『食うな、動くな、寝てろ』ですぐに復活した。ただ鼻水と痰が止まらなかった。。。真っ黄色だった。夜も鼻が詰まってしまい寝れず、朝起きれば口呼吸で口の中はカラカラ状態で朝からブルーに…なんだかやる気も起こらなかった。病気になってみて、吐き出したことで、久しぶりに心と体が繋がった気がした。

 

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子ども達が大好きだ

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年末にあった一番大きな出来事といえば、12/28に行った児童館へのボランティアだろう。「ボランティアと社会」という授業で、興味のあるボランティアを学生自身で企画をしてアポを取り実行する。僕は子どもと教育にずっと興味があったので児童館へ行くことにした。児童館へ入ると3秒で6人の子供達に抱きつかれた。『一輪車しよう!』『鬼ごっこしよう!』『ねぇねぇ何歳?』『名前は名前は〜?』『遊ぼうよー!』『大学生のお兄さんだ〜!』一瞬で6人に同時に話しかけられ『俺は聖徳太子じゃない!』と突っ込みたくなった。笑 しかしどこまでもまっすぐに正直に気持ちを伝えてくる子ども達の姿に触れると、氷のように固まっていた心が溶けていくような感覚になった。すると少しずつ小さい時の気持ちを思い出すように子ども達以上に遊んでいるようになった。6時間という短い時間だったが本当に濃い時間だった。校門を出てからも『また来てね!』『絶対に忘れないでね!』そんな声が静かな街中に響いていた。そんな瞬間に立ち会えた時は目に光るものが浮かんできていた。『必ずまた行こう!』そう決めた。

祖母の他界

この年末年始で一番大きい出来事といえば祖母の他界だろう。僕と同じタイミングで体調を崩し一時は鼻歌を歌うまで回復したが、その後また体調を崩し元旦に他界した。94歳だった。正直なところ僕は『ああしなさい!』とお節介な祖母と距離を取っていた。母との関係も良くなかったし僕の中では完全に『臭いものには蓋』状態だった。しかし今年1年、田中信二氏の元でぶつかった中で『どうしたらぶつからないで分かり合えるようになるか?』を考えるようになっていた。祖母は94歳で耳も遠く、友達はみんな先に逝ってしまっている。そんな中で話し相手が家族しかいなかった。そんな祖母を『なんだあいつ!』と思っていた自分に気づいた時に『あぁちゃんとばぁちゃんの話を聞いてげてなかったな。寂しかったんだろうな。』と気づき行動が変わった。祖母が他界したのはそんな風に自分自身の捉え方が変わった1週間後だった。最後の3~4日間は『痛いよ…痛いよ…』と声にならないような声で常に訴えかけていた。そんな祖母が急変したのは元旦だった。『服を着替えたい!』と訴えていたので、父と母と自分の3人で支えながら着替えをした。そして着替えが終わった瞬間に祖母の顔がスッと柔らかくなった。それまでの痛みを訴えていた顔とは明らかに違った。本当に穏やかだった。それと同時に少しずつ体の力が抜けていくのがわかった。そしてその2時間後に祖母は94歳の人生に幕を下ろし天国へ旅立った。人の『最後の瞬間』の姿はとっても美しかった。

強烈なまでのかまってよ!アピール

祖母の他界によって何年かぶりに親戚が一堂に集まった。僕は19歳にして5人の甥っ子がいる。その中でも一番上は高1なので僕は3歳で叔父になったことになる。笑 お葬式の間にそんな甥っ子たちとめちゃくちゃ遊んだ。すごい楽しかったのだが、その中でも1人の甥っ子は強烈なまでの『かまってよ!』アピールをしてきた。児童館でも似た光景があった。『こうちゃんは私のもの!』そんな言葉を何度も聞いた。なんだか自分の姿を見ているみたいだった。僕もかまって欲しいとすごく思う。ただ甥っ子や児童館の子ども達とは違いあまりアピールをしないようになってきてしまっている。愛が欲しいとわかっているのに、いざそんな場面になると突き放してしまう。なんでだろう?とわかっても反射的に体反応してしまう。そんな自分の姿を客観的に見ていると『この子達は愛が欲しいんだろうな』となんとなくわかった。もちろん両親から愛を受けるのが一番に決まっている、でも人にはいろんな事情がある。家族を守るためにどうしても働かなきゃいけない時だってある。それならそんな子ども達の愛を少しでも満たすことができる存在になろうと密かに心に誓った。

あとは任したよ

祖母には『なんだうるさいな!』という気持ちを抱いていながらも毎月のお小遣いはずっともらっていた。すごく甘えていたわけだ。しかし祖母は母と喧嘩したりお節介なことを言ってみんなから煙たがられていたとしても、他界する前日まで支えられながらも自分でトイレに行っていた。最後まで自分のことは自分で責任を取っていた。そんな姿を僕に残してくれていた。そんな祖母に手を合わせた時『本当に今まで跳ね返してばっかりでごめんよ。今までありがとう。ゆっくり休んでね。』という祈りと共に目から雫が溢れていた。『あとは任したよ』そんな声が聞こえてきた気がした。

2016年のこうじ

今年は『やりきる』ことをテーマにする。いつでも食卓には食事が並び、洗濯はいつでも綺麗にたたんでタンスにしまってあった。何よりお金には困ったことはなかった。祖母からは毎月お小遣いをもらい、田中信二氏にはタダでセミナーを受講させていただき寝泊りする場所まで用意してもらっていた。それが当たり前だった。しかし今年はそれがもうない。祖母は他界した。セミナールームは飛び出した。僕には何も残っていない。だからこそ始める。そして『やりきる』んだ。2月にはタイに行く。そこでどこまで話し合い、ぶつかり合いより良いものにできるかまずは試されるようになる。全てが自分の成長を後押ししてくれているように感じる。まずはしっかりと借金を返済するために働くこと。それと共に積極的に家を飛び出しフィールドワークで学ぶこと。苦しむこともあるだろうし、喜びだってあることだろう。祖母から任されたこの命を精一杯使って、19歳だから感じられることを精一杯感じる。そんな1年にする。

 

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この写真は昨日行った東京都埋蔵文化センターの写真。縄文時代にタイムスリップしたようだった。竪穴式住居の中での焚き火はなぜか心が癒されてその場で1時間を過ごしていた。こんな静かな時間が今年はあってもいいなと感じた時間だった。

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こうじ

初めての2015年。

もう少しで2015年が終わりますね。
今年は14年続けてきたサッカーがない年でした。
そんな今年は良いことも悪いこともいろんな初めてを経験した年だったと思います。

 

今年の初めてを少し振り返ってみる

1月、人生で初めての受験勉強と家族との大喧嘩をしました。


2月、初めての受験と弟子入りをしました。国際ブレインアップデート協会の会長である田中信二氏の元に訪れ、初めて会った日に弟子入りをさせて欲しいとお願いをして、弟子入りをすることになりました。そして高校時代からお世話になっていた鈴木颯人氏の元でのスポーツメンタルコーチの資格講座がありました。


3月、初めてのアルバイトでお金をもらうことの尊さを学び、初めて講演会に参加して社会の現状を知りました。


4月、国士舘大学21世紀アジア学部へ入学しました。


5月、ブレインアップデート協会のトレーニングに初めて参加して、初めて下宿をさせていただきました。


7月、初めて免許取得と大学の試験をしました。


8月、ブレインアップデート協会の夏のトレーニングに参加して、最後まで参加できずに途中で家に帰りました。実践の仲間と初めて川でバーベキューしました。(初めて川に溺れかけたのは秘密です。笑)初めて実践でメンタル面のサポートをさせていただく機会をいただきました。


9月、初めて一人旅をしました。高速バスとレンタカーだけを予約して東北へ旅立ちました。


10月、初めてのサロンを借りてセッションを始めました。初めて志ビジネスプレゼンテーションに参加しました。そしてご縁で初めて雑誌のカットモデルで撮影をさせていただきました。


11月、桑原さんのスポーツ選手への想いに共鳴し初めて桑山コンビというものを結成しお互いに意見を出し合いました。初めて甘いものを食べることをやめました。


12月、ブレインアップデート協会のトレーニングで8月と全く同じ展開となりまた家へ帰りました。今回の初めては全てを捨てたことです。ブログ、YouTubeTwitter、トレーニングへの参加など今年1年積み上げたものを全て捨てて、まずは借金を返すために朝と夜のアルバイトを始めました。学校の授業で初めてボランティアを企画して実行しました。

 

書き出してみると結構多くの初めてが多かったなと思います。でもやっぱり今年の中で一番大きかったことといえば田中信二氏への弟子入りだと思います。1年間とにかくぶつかりまくりました。途中ではもうやめるという話までなりました。ですが最後には清々しくあのセミナールームを出ました。正直、あそこまで自分の嫌な部分を出しても受け止めてくれた人は家族以外では初めてでした。正直に生きることの大切さを1年間で身体を通して教えていただきました。

来年へ向けて

来年は初めてのタイでの海外ボランティアもあります。初めての海外で言葉も通じない、初めてのメンバーで息も合わない、そんな状況の中で正直に生きることができるのかが早速試されると思います。
ありがとう2015年。みなさん良いお年を!

吐き出しちゃいなよと呼びかけてくる。

吐き出しちゃいなよと呼びかけてくる。

喉が痛い。もう喉が痛くてしょうがない。痰がたくさん出てくる。ものすごく汚い。誰かが僕にもう観念して吐き出しちゃいなよ呼びかけてくるようだった。じゃあ僕が吐き出せないことはなんだと考えた時、やっぱり近い存在のことなんだなと感じた。戦争、飢餓、貧困、原発、TPP…そんな問題や課題にばかり意識を持っていたけど、それと同じぐらい家族、親戚、親友、恋人という自分に近い存在との問題も抱えている。まずは内側のこと近くとの存在の課題に目を逸らさずに向き合うことだと感じた午前中だった。

ぶつかりたくない

でもそんなこと言ったって僕はぶつかることが嫌いだ。戦争なんて最悪だと思っている。戦争の話題や特攻隊の話が上がると『どんなに美化をしたって戦争は戦争じゃないか!人殺しをどうして美化するんだ!』という気持ちが湧いてきてしまう。なぜそんな風に思うのか?『戦火の馬』を見終わった後に考えてみた。答えは僕がぶつかることをこれまで避けてきたからだと思った。たしかに彼女ができても喧嘩なんか一度もしたことないし、サッカーをやっていた時だって仲間と言い争ったことなんてほとんどなかった。僕はぶつかることをこれまでずっと避けてきたのかもしれない。

ぶつかっている姿は汚い

それでも僕の本音は『ぶつかる姿は汚い』だ。これは事実だと思っている。自分の主観をぶつけ合っていてなんの解決にもならない。そんな姿を晒すなんて本当に汚いと思う。ぶつかり合いは個人的な喧嘩から、団体になれば派閥争い、国レベルになれば戦争とつながる。さらにはそれで金儲けをしようと考えている輩がいるのだからもう最悪だ。『なぜもっと我慢できない』『なぜもっと相手のことを考えられない』『僕みたいにちょっと言いたいことを我慢すれば済む話なのに』そんな風に心の底から思っている。

汚いものこそ美しい

ぶつかっている姿は汚い。そんな考えはちょっと違うかもしれないと思わせてくれる出来事が先週あった。僕はいつものように祖父母の家にお手伝いをしに行った。そこで一通りのお手伝いを終えた後、なんと祖父母達は親戚の中ではタブー化されていた話を僕に話し始めてくれたのだった。詳細は書かないが、その内容は端から見たらすごく汚いことだ。だから僕や親戚はこれまでずっと触れずに生きてきた。しかし祖父母達は汚いことを隠さず話してくれた。良いことも悪いことも正直話してくれた姿は汚かった。でもそれ以上に美しかった。あぁ汚いものこそ美しいのかもしれない。そう率直に感じた。

本当はぶつかりたい

ここで僕の好きな歌手を紹介したいと思う。「高橋優」という歌手だ。最近はダイハツのCMなどでも起用され少しずつ有名になってきている。その中でも僕の一番お気に入りは『駱駝』という曲だ。


高橋優 「駱駝」

『大人はバカだから』『世間体はカスだから』

そんな汚いところを隠さない言葉を必死に語りかけようとする中学生の僕は憧れた。僕は小さい頃から色んな思いを持ちながらそれを出さないようにしていた。でも本当は吐き出したいという本当の気持ちがあった。『ばかやろう』『くそやろう』『俺の方が正しいんだぞ』自分では言えないけど高橋優が代弁してくれていると、本当に苦しい時、吐き出したい思いがある時『あぁそうだよな、そうだよな』と思いながら高橋優に自分を投影するようになった。汚い自分の姿を隠しながら心の奥底ではぶつかりたいと思っていたのだ。

ありったけの愛を込めて、この街を全部ぶっ壊そうぜ。

僕は今年、様々な人とぶつかった。そのおかげで自分自身の気持ちを吐き出すことができた。人生で始めて本気でぶつかり合った1年だったと思う。でも誰もがそんな僕を誰しもが愛を持って受け入れてくれた。そんな僕がいま感じているのはぶつかる目的は相手に何かをぶつけることじゃないんだなということだ。もちろんぶつかるのだからそれは何かを相手にぶつけようとする。でも相手にぶつけようとしたのと同時にそれは自分に返ってくる。ぶつかるのは相手にぶつけるためじゃない自分を壊すためだ。相手のことを本気で愛すと同時に自分を愛するためにぶつかるんだ。『ありったけの愛を込めて、この街を全部ぶっ壊そうぜ。』そんな歌詞がどこからか聞こえてくる気がした。

それにしても、今日の夕焼けはすごい綺麗だったな。

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こうじ

お願いするなんて傲慢だ。

たくさん話そう

大学に入って、もう8ヶ月が経った。この8ヶ月間で僕の人生に大きな変化があった。その中でも家族との会話との会話が増えたのことは最も大きな変化の一つだろう。高校時代は家族よりもサッカー部の仲間といる時間が長かった。だから必然的に家族との会話はほとんど皆無に近かった。しかし大学に入って家にいる時間が増えた。家にいる時間が増えれば会話も自然と増えた。食事の時間も2〜3倍に増えた。

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 会話に比例した喧嘩

会話は増えた。特に母親とは家にいる時間のほとんど話している気がする。しかし会話の時間に比例して喧嘩の回数も増えた。会話が発生すれば「なんでそんなことに反応するの?」とお互いに気づく。それを指摘する。でもこれが家族なのかというぐらい受け入れられない。入っていることはわかるけど納得いかない感覚だ。そのうち自分の思っていることだけをぶつけるようになっている。そうなるとやっぱり傷つく。それでもこれでもかとぶつけあう。傷つきながらもぶつけ合っている。反抗期と呼ばれた時期もあったぐらいだ。でもそれでもわかってきたこともある。

 

病気と気づき

ここ何日か母親が体調を崩した。だから家のことは僕と親父でやることになった。母親はここまでひどくなるのかというぐらい熱が出て本当に辛そうだった。料理、掃除、洗濯という家庭での仕事を父は会社に帰ってきてから、僕は大学帰ってきてからこなす。普通にできていたことがこんなにも大変だったのかと感じた。それは肉体的というものよりも精神的なことが大きかった。でもそれに気づけたのはぶつかっていたからだ。ぶつかっていたから、自分てこんなにも間違っていたんだと気づけた。中途半端な会話だったらこんなには感じなかっただろう。

 

お願いするなんて傲慢だ。

今日も食事の時間に色んな話をした。そんな中で父が「こうやって病気になるといかに今が幸せか気づくよな。でも人間ってすぐ忘れるんだよ。本当にすぐに。だから俺はいつも神様に手を合わせる時は何かをお願いするんじゃなくて『しあわせにありがとう』と思うようにするんだ。」と言った。僕はハッとした。僕はいつも神様にお願いばかりしていた。試験に受かりたい!健康でいたい!もっと幸せになりたい!「ねぇ、神様!500円お供えするから叶えてください!お願いします!」普段は神様に何にも与えないくせに、自分に何か必要になった時だけ神様にお願いする。なんて自分は傲慢なんだ。

毎日同じように繰り返す日々。同じように繰り返せる会話。まずは手を合わせて仕合わせを感じてみることから始めようと思いました。


福山雅治 ♪糸/中島みゆき [アコースティックVer.Special Edition] 2015【HD】

 

こうじ

早くOFFにならないかな。

早くOFFにならないかな。

 昨日、寝る前にこんな本を読んだ。

今までにない職業をつくる | 甲野善紀 | 本 | Amazon.co.jp

その中に『稽古がない日が嬉しい現代』みたいなことが書いてあった。そこを読んで自分の現役時代を思い出した。僕は4歳からサッカーを始めて14年も続けた。高校時代は東京でトップにもなったし、それなりに充実していたと思う。でもいま思えばあの時の自分はずっとサッカーが嫌いだったんだなと。だってOFFの日が楽しみでしょうがなかったし、僕の中では練習は『辛い』もの、OFFは『楽しい』ものという位置付けなっていた。

ではなぜ僕はサッカーを14年間も続けたのか。もちろん好きという気持ちがあったのは確かだった。でなければさすがに続けることは難しかったと思う。でもそれよりも大きかったのは『意地』と『プライド』だと思う。小さい頃からできないことがあっても割とすぐにできてしまうほうだった。だからそれなりに褒められていたし自分自身に自信を持っていた。

できないことがあればできないと認めたくなかった。でも自分はサッカーが下手だった。自分はサッカーが人よりできなかった。『意地』や『プライド』が邪魔して、僕はそれを認められなかった。『いつの日か見返してやる!』そんな思いを持ちながら続けていた。だからただサッカーが好きだったのではなくサッカーで見返したかったのだ。

 

『意地』や『プライド』の為に『主将』という名前にこだわった。『サッカー部』という名前にこだわった。『侍スポーツメンタルコーチ』という名前にこだわった。ただサッカーがしたかっただけなのに。そんな『意地』や『プライド』が邪魔してきて相手と本物の関係になれない。自分で作っているってわかっても手放すことのできない感覚だ。山下浩二になりたい。なんかの名前の付録の山下浩二ではなくて。


職の名前なんてその人を表すものではなくて切り口だってわかっているのにどうしてもこだわりたい自分がいる。でもそんな自分を壊した時はすごく爽快な気分だった。そう、サッカーをやめた時だ。なんでもできる気がして視野が一気に広がった感じがした。今もそんな感じがしている。

今の自分にとっては毎日がOFFだ。なんでもできる。何かに向かうことをやめたらOFFなんてほしく無くなるのかもしれない。何かに執着することをやめたらOFFなんていらなくなるのかもしれない。この感覚を大事にしたい。

 

こうじ