コウジの体験記

コウジが「体験したこと」「感じたこと」を綴っています。

こうじが考える『未来の大学』②

実践するからこそ身体に身につくんだ。

タイから戻ってきてからもう5日が経つ。時間が経つのは早いなぁ。ここ何日はここ最近のことをまとめる作業をやっている。その合間にタイの子ども達から毎日メッセージが届いてきていて、それが案外英語の勉強になっているので「あ〜やっぱり実践する機会があるから初めて学びになるんだな」と心底思った。そんなことを考えながらずっとまとめていなかった『未来の大学の形』について書いていきたいと思う

誰でもできる仕事はもうなくなる。

「これからの時代は誰でもできる仕事についている人は、職がなくなるか今より圧倒的に低い賃金で働働かなきゃいけない世界がやってくる。だからどんな大学を出たかじゃなく、大学でどんなことをしたか?の方が圧倒的に重要だ。どれだけ君がクリエイティブになれるかでこれからの一生が決まる。」1年生の授業の中で嫌という程言われたことだ。でも実際にオックスフォード大学のオズボーン氏は未来の職について次のように語っている。

「コンピューターの技術革新がすさまじい勢いで進む中で、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がロボットなどの機械に代わられようとしています。たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車は、これから世界中に行き渡ります。そうなれば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのです。

これはほんの一例で、機械によって代わられる人間の仕事は非常に多岐にわたります。私は、米国労働省のデータに基づいて、702の職種が今後どれだけコンピューター技術によって自動化されるかを分析しました。その結果、今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論に至ったのです」

gendai.ismedia.jp

「アクティブニート」でも就職できる社会に。

僕は現代の大学の形を否定したいとは思わない。ただそれ以外の形をもっと選べて社会的に認めてもらえるような仕組みを作りたいと思う。例えば「アクティブニートというものがある。「アクティブニートについて僕が知ったのは、去年ある授業で僕の1歳上の女性が話をしに来てくれたことがキッカケだった。その女性は大学などには進学せずに長期の国際ワークキャンプによってネパールに住み込みながらワークをしているという。そう「アクティブニートとは勉強もしていないし働いてもいないけど何かしらの活動をしている人のことを指す言葉のことらしいのだ。僕はその女性が本当に楽しそうに生きている姿を見て、大学にいながらただただ毎日の講義とレポートをこなしてる自分と対照的だなと思った。しかし「就職」と考えたらより良い条件で就職できるのは僕になってしまう。なぜだろう?これだけ「これからの時代はグローバルで創造的な人が必要だ!」と言われているのに大学という学歴がつくだけで優遇されてしまうのか。大学に所属していないと、どんな活動も意味がないのだろうか?

活動自体が価値を持つ仕組み作り

就職試験では「大学では何をしましたか?」が必ず聞かれる質問らしい。人間力で考えれば、ただただ大学行ってバイトしている人より前出の「アクティブニートの女性の方が圧倒的に人間力は高いであろうと思う。しかしその価値は学歴が伴わないと0に近いものになってしまう。そこで僕が考える「未来の形」「活動」自体が価値を持つ仕組みになることだ。しかし大学という枠にとらわれると本当にやりたいことを選べない可能性があるし、大学の単位というものに苦しめられる可能性がある。であるならば大学に限定せずに活動自体が価値を持つようになればいいのではないかと思う。バイトだったら接客のスキル、大学の研究だったらTHE専門性、海外留学だったら語学、バックパックだったら世界中の知識と勇敢さ、ワークキャンプだったら社会奉仕力、インターンだったら実務経験など、その人がやった活動全てを同列の価値として履歴書に書ければ、70点を狙ったようないい子ちゃんよりも、所々100点と50点の混ざった逸材がゴロゴロ出てくると思う。もちろんこれで全ての人に幸せが訪れるなどとは到底思わない。ただ企業もみんなが求めている能力を基準にしなくたっていいと思うし、本人が本当にやりたいことをやり続けて、その活動が社風に合うとかコンセプトに合うから価値があるな!と企業が感じれば雇用すればいいんじゃないかなと思う。ようは就職試験での質問が「これまでどんなことをして生きてきましたか?」というその人の人生自体にフォーカスを当てた質問になってほしいってことを言いたいのだ。

「未来の大学の形」

さぁここまで書くと「じゃあ大学行かなくてもいいじゃん」みたいになりそうだから、僕なりの「未来の大学」の形をまとめたいと思う。もちろんこうしなければならないんだ!みたいな訴えではなくて、あくまで未来の形の1つにこんなものもありじゃない?程度のものとして捉えてほしい。まず僕は最初に書いたように実践したり体験をするからこそ身体に身につくと考えている。だから僕は大学の講義っていう物よりも体験型の授業をメインにしていくべきだと思う。その上で大学のメリットとしては仲間ができること様々な団体との繋がり、そして専門性の強さが挙げられると思う。僕はその強みを全力で打ち出していくことこそが「未来の大学」に必要ことだと思う。

  • 魅力的な体験型プログラムを打ち出す!

仲間ができること様々な団体との繋がりを生かすなら、様々な体験型プログラムの斡旋を進めていけばいいと思う。個人では探すことが難しいようなプログラムを組んだり、いろんな団体をコラボさせてみたりして、その大学に入学しなければ体験できない魅力的なプログラムを打ち出せば入学者は集まるのではないだろうか?さらにそこに教員がファシリテーター役となってサポートをしたり、専門の授業を挟んでみたり、生徒が1つのクラスとか班みたいなグループとなって、それぞれが体験した経験をシェアして1つの議題で議論したりすれば、さらに学びは深まると思う。そのグループで何かを作ってみたっていいし、とにかく能動的に自由に実践的な学びの機会が増やしていくことが肝心だと思う。

例えばこんな感じで!!(この活動に専門のサポートと仲間がつくイメージ)

ボランティア募集情報満載! | ACTiVO(アクティボ)

岐阜のホンキ系長期実践型インターンシップ(地場産業、伝統産業、まちおこし)と言えば!NPO法人G-net(ジーネット)

 

koji-diary.hatenablog.com

 

 

  • 専門性はもっと少数の限定した人向けに!!

大学の魅力といえば何よりその専門性だと思う。その専門性を生かすのならば、もっと枠を絞るようにしたり学費を高額にして本当にその専門性を高めたい人だけが集まるようにしたほうがいいと思う。教授側としても聞きたくもない話を聞いて単位をもらっている生徒より、本当に学びたくてきている生徒に話したほうが気持ちがいいに決まっている。わざわざ大学院という形を取らずに、もっと早い段階から研究組は研究に没頭することが必要だと思う。みんながやっているから君もやらなきゃダメみたいなのは正直言って一番つまんない授業だからそんなのはやめてしまえばいいと思う。それよりか自分はこれなんだ!ってものに夢中になって研究しているほうが最高に楽しい時間になると思う。

自分の道は自分で選択する!

ここまでいろんなことを書いてきた。でも何より言いたかったことは『自分の道は自分で選択する!』ということだろう。でも正直なところ「やりたいことやったって社会が認めてくれない…。安定のためにはしょうがないじゃないか…。」みたいな声が自分の内側から聞こえてくるときがある。そんな声にいつも「確かにそうだよな。かわいそうに。」と言いたくなる自分がいる。でも例えば起業すると心に決めれば学歴なんていらなくなる。自給自足するって決めれば学歴なんていらなくなる。でもそれをするにはとっても覚悟がいるしすごく厳しい道を進むことになる。でも好きなことをするってそんなに覚悟が必要なのかな?本当にやりたいことや本当に好きなことを続けることが難しい社会ってなんかおかしい気がする。でももしかしたら目の前にあるのにただ難しいっていっているだけなのかもしれない。だから僕はちょっとだけみんなが進んでいる道から外れて『自分の道は自分で選択』してみたいんだよね。僕も『自分の道は自分で選択』している人見てかっこいい!って思ったし、もしかしたら「そんな学び方もあるな!面白そうだな!」って付いてくる人がいるかもしれないよね。だからこれからの僕自身の人生が「未来の大学」の形の1つになっていけばいいなって思うんだ。

 

こうじ