お願いするなんて傲慢だ。
たくさん話そう
大学に入って、もう8ヶ月が経った。この8ヶ月間で僕の人生に大きな変化があった。その中でも家族との会話との会話が増えたのことは最も大きな変化の一つだろう。高校時代は家族よりもサッカー部の仲間といる時間が長かった。だから必然的に家族との会話はほとんど皆無に近かった。しかし大学に入って家にいる時間が増えた。家にいる時間が増えれば会話も自然と増えた。食事の時間も2〜3倍に増えた。
会話に比例した喧嘩
会話は増えた。特に母親とは家にいる時間のほとんど話している気がする。しかし会話の時間に比例して喧嘩の回数も増えた。会話が発生すれば「なんでそんなことに反応するの?」とお互いに気づく。それを指摘する。でもこれが家族なのかというぐらい受け入れられない。入っていることはわかるけど納得いかない感覚だ。そのうち自分の思っていることだけをぶつけるようになっている。そうなるとやっぱり傷つく。それでもこれでもかとぶつけあう。傷つきながらもぶつけ合っている。反抗期と呼ばれた時期もあったぐらいだ。でもそれでもわかってきたこともある。
病気と気づき
ここ何日か母親が体調を崩した。だから家のことは僕と親父でやることになった。母親はここまでひどくなるのかというぐらい熱が出て本当に辛そうだった。料理、掃除、洗濯という家庭での仕事を父は会社に帰ってきてから、僕は大学帰ってきてからこなす。普通にできていたことがこんなにも大変だったのかと感じた。それは肉体的というものよりも精神的なことが大きかった。でもそれに気づけたのはぶつかっていたからだ。ぶつかっていたから、自分てこんなにも間違っていたんだと気づけた。中途半端な会話だったらこんなには感じなかっただろう。
お願いするなんて傲慢だ。
今日も食事の時間に色んな話をした。そんな中で父が「こうやって病気になるといかに今が幸せか気づくよな。でも人間ってすぐ忘れるんだよ。本当にすぐに。だから俺はいつも神様に手を合わせる時は何かをお願いするんじゃなくて『しあわせにありがとう』と思うようにするんだ。」と言った。僕はハッとした。僕はいつも神様にお願いばかりしていた。試験に受かりたい!健康でいたい!もっと幸せになりたい!「ねぇ、神様!500円お供えするから叶えてください!お願いします!」普段は神様に何にも与えないくせに、自分に何か必要になった時だけ神様にお願いする。なんて自分は傲慢なんだ。
試験に受かりたい!健康でいたい!もっと幸せになりたい!「ねぇ、神様!500円お供えするから叶えてください!お願いします!」普段は神様に何にも与えないくせに、自分に何か必要になった時だけ神様にお願いする。なんて自分は傲慢なんだ。
— Koji.Yamashita (@yamako1001) 2015, 12月 15
毎日同じように繰り返す日々。同じように繰り返せる会話。まずは手を合わせて仕合わせを感じてみることから始めようと思いました。
福山雅治 ♪糸/中島みゆき [アコースティックVer.Special Edition] 2015【HD】
こうじ
早くOFFにならないかな。
早くOFFにならないかな。
昨日、寝る前にこんな本を読んだ。
今までにない職業をつくる | 甲野善紀 | 本 | Amazon.co.jp
その中に『稽古がない日が嬉しい現代』みたいなことが書いてあった。そこを読んで自分の現役時代を思い出した。僕は4歳からサッカーを始めて14年も続けた。高校時代は東京でトップにもなったし、それなりに充実していたと思う。でもいま思えばあの時の自分はずっとサッカーが嫌いだったんだなと。だってOFFの日が楽しみでしょうがなかったし、僕の中では練習は『辛い』もの、OFFは『楽しい』ものという位置付けなっていた。
ではなぜ僕はサッカーを14年間も続けたのか。もちろん好きという気持ちがあったのは確かだった。でなければさすがに続けることは難しかったと思う。でもそれよりも大きかったのは『意地』と『プライド』だと思う。小さい頃からできないことがあっても割とすぐにできてしまうほうだった。だからそれなりに褒められていたし自分自身に自信を持っていた。
できないことがあればできないと認めたくなかった。でも自分はサッカーが下手だった。自分はサッカーが人よりできなかった。『意地』や『プライド』が邪魔して、僕はそれを認められなかった。『いつの日か見返してやる!』そんな思いを持ちながら続けていた。だからただサッカーが好きだったのではなくサッカーで見返したかったのだ。
『意地』や『プライド』の為に『主将』という名前にこだわった。『サッカー部』という名前にこだわった。『侍スポーツメンタルコーチ』という名前にこだわった。ただサッカーがしたかっただけなのに。そんな『意地』や『プライド』が邪魔してきて相手と本物の関係になれない。自分で作っているってわかっても手放すことのできない感覚だ。山下浩二になりたい。なんかの名前の付録の山下浩二ではなくて。
職の名前なんてその人を表すものではなくて切り口だってわかっているのにどうしてもこだわりたい自分がいる。でもそんな自分を壊した時はすごく爽快な気分だった。そう、サッカーをやめた時だ。なんでもできる気がして視野が一気に広がった感じがした。今もそんな感じがしている。
職の名前なんてその人を表すものではなくて切り口だってわかっているのにどうしてもこだわりたい自分がいる。でもそんな自分を壊した時はすごく爽快な気分だった。そう、サッカーをやめた時だ。なんでもできる気がして視野が一気に広がった感じがした。今もそんな感じがしている。
— やまこー (@yamako1001) 2015, 12月 14
今の自分にとっては毎日がOFFだ。なんでもできる。何かに向かうことをやめたらOFFなんてほしく無くなるのかもしれない。何かに執着することをやめたらOFFなんていらなくなるのかもしれない。この感覚を大事にしたい。
こうじ