明日も生きれると思うなよ清。産まれてからはボーナスタイムだ。
僕はどうしても考え込んでしまう。それが真実ではないのかもしれないのに。
最近で言えば「この半年間で豊後大野市に何を残せたんだろうか?」そんなことから始まり、ひたすらに悩んでいた。
”僕には何ができて、何を求められているんだろう?”
”この地域にとって、僕は必要な存在なのかな?”
”もしかしたら価値がないんじゃないか?”
こんな言葉が、ぐるぐるぐるぐる。。。。。。。。
と頭の中を駆け巡る。
そんで今日。久しぶり(1ヶ月ぶりぐらい)にサッカーした。普段は中学生だけなんだけど、今日はなぜだか高校生がわんさか。
体たらくな(現役の頃から10kg太った)カラダをとにかく一生懸命動かして食らいついていったんだけど、清の心肺機能は底辺に落ちていて、とにかくゼーハーしまくった。
でもそんな状況になると、それまで悩んでいたことがファーっと無くなっていたんです。というか考えられなくなったって感じなんだけどw
ひさびさのサッカー。マジで最高な時間。どう最高だったかっていうと、無駄な思考をしなくて良かったってとこ。最近、俺はいろんなことを深く考え込んでしまっていた。けどサッカーをやることによって、目の前のサッカーしか考えられなくなる状況を作り出せたことが良かった。
— ヤマシタキヨシ📪 (@k_yaaaaamachan) 2018年3月22日
それで気づいたんです。今まで悩んでいたこと、気にしていてもしょうがないなって。
もし自分が地域から必要ないって思われる存在なら、3年後には残れないわけだし。もし必要とされるのであれば、僕は生き残っていける。ただそれだけなんです。
そうであるなら、地域に受け入れてもらおう!とか地域のために!みたいなのはとりあえず忘れて、自分がやりたいことを一生懸命にやってみる。あとは天に任せてしまおう!となりました。
この感覚って、旅の時の感覚とめっちゃ近くて。お金もない、知り合いもいない。明日生きていけるかどうかわからない。そんな状況の中、自分という存在をひたすらにアピールして、それが面白いと思ってくれる人がいれば、その人と繋がり助けてもらうかもしれない。そうでなければ死んでいく。
底辺にいれば、周りを変えようとなんかせずにとにかく自分を変えていっていたのに、なんか定住したりとか安定した暮らしがあると、どうしても守りに入っちゃう。あいたもここで暮らして生きたい。生きていきたいと思ってしまう。
でも明日死んだって、明日家を追い出されたって、明日仕事がなくなったって、何度でもやり直せるって安心感はあるだろ?だからこそ周りじゃなくて自分の行動や言動をどうしていきたいか。
誰かのためじゃなくて、自分のためだ。
明日も生きれるとか思うなよ清。
明日も生きれるなんて保証はないんだ。だから自分のやりたいことをしよう。言いたいことを言おう。今日も目一杯も生きたって思って眠りにつこう。あとはお天道様が教えてくれる。
— ヤマシタキヨシ📪 (@k_yaaaaamachan) 2018年3月22日
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思うこと言わねば腹ふくる…。