あったことはしょうがねーだろ?過去は過去。俺たちはいま生きているんだから、また始めればいいんだよ。
あの日、僕はまだ中学2年生だった。たしか英語の授業の時間だっただろう。教室が3階だったせいか、東京でもこれはヤバイと思った。これはいつもと違うと。
テレビをつけると、そこらで火事が起きていて、東北ではすごい津波が発生していた。
僕の親父は消防士だったので、帰ってくることができず、当時の僕は、とにかく父が無事に帰ってくることだけを願っていた。
数日後、震災が少し落ち着いた日に親父は帰って来た。
心の底から安心して、僕はサッカーをしに出かけた。すると”ゲンパツ”というやつが爆発したらしい。正直、へーそうなんだ、ぐらいの感覚だった。
その”ゲンパツ”というやつは電気を作っていたらしく、電気が足りないので日本全国で計画停電が行われた。そのおかげで学校は休校になったのだが、僕の地域は自衛隊や国の機関がある地域だったので計画停電は行われなかった。僕は、最強!ラッキー!ぐらいの感覚でまたサッカーをした。
震災と僕の距離は「画面の前の自分と画面の向こうの世界」だった。
5年後。どうやら津波も”ゲンパツ”も、まじでヤバかったことを体感する。
大学生になり時間に余裕ができた僕は、現地を見に行こうと一人旅を決意した。仙台の人から「震災の爪痕を見たいなら、ゲンパツの近くに行くといい。」と教えてもらったので、それに従うことにした。
車を走らせながら、両サイドになんにもない景色をただ見つめるしかなかった。
打ち上げられた船はそのままになり、
”ゲンパツ”によって汚染された土がひたすらに並んでいた。
その周りの写真を撮ろうとした時、「お前こんなとこで写真撮ってたら警察に捕まるぞ。」と近くのガソスタのおっちゃんが教えてくれた。
恐怖を感じた僕はその場から逃げた。
その後、めちゃくちゃいろんなことがあり(ここが一番面白いけど、長くなるから割愛)、この景色を見ることに。
震災のすぐに来ていたらもっと感じることがあったのかもしれない。
それでも、僕の中では震災が「画面の向こうの世界」から「目の前にあるリアルな世界」なんだという風に変わっていた。
「あったことはしょうがねーだろ?過去は過去。俺たちはいま生きているんだから、また始めればいいんだよ。」
南三陸の寿司屋のおっちゃんは僕につぶやいた。
どんなに暗くても夜が明ければ朝日はのぼり、
震災があっても花は咲く。
最近、キツイことが多いけど、東北のみんなに負けないようにもうひと踏ん張りだなぁ。
今年は、東北のおっちゃん達に会いに行きますよ。まずはそれまで頑張ります。
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