社会人になるということ。大分に移住してから2ヶ月。
どうもコウジです。なんだか久しぶりにこの名前を使った気がします笑
ビジネスネームで山下清という名前を使っていますが、このブログはビジネスとは全く関係ない個人的なブログなので本名のコウジとして書いていこうと思っています。
さて今日は大分に移住してきてからもう2ヶ月経とうとしているので、ここまでバタバタと過ごしてきて感じたあれこれをまとめていければと思います。
自然はやっぱり美しい
この写真は家から歩いて1分ほどで見ることのできる景色です。
空があり、雲があり、山があり、水田がある。
人によっては、「こんなものがあっても暮らしにくいだけだ!」思う人もいるかもしれませんが、僕はこんな風景がとても心地いいなと思います。
なぜかはわからないけど、こういった風景を見ていると心が洗われる。
自分が美しいと感じるもの、そのように感じる場に訪れること。
それだけで「生きていてよかった」と感じます。
あぁやっぱり自然は美しい。
旅人の訪れる家
彼女はアメリカ人の旅人。地域おこし協力隊の仲間から頼まれて、一泊泊めてあげました。次の日めっちゃ怒られたけど。まぁこれもいい経験。
次は高校時代の先輩が泊まりに来るっていうね…笑
でも今回はこちらがもてなす側なので、その見返りにこき使ってやりました。
まぁ大家さんに頼まれた仕事を一緒にやっただけなんだけど。
その夜は先輩の仲間も合流して、楽しい夜会に。
いやそりゃもう本当に楽しくて、こっちに来てもまだ友達らしい友達ができていないからか、やっぱり人と会うのは最高だなと思った。
冷蔵庫、洗濯機、ソファーと本当に心優しい人からの頂き物で成り立っているこのコウジハウスなので、日本一周している旅人とかに開放したいと思っている。
自分がしてもらったものは、その人に返すよりも誰かに送ること。恩送りってやつで循環を起こしていければ最高だね。
なんて書いていたら10月にも友達が来るみたいなので、いまから楽しみです。
連絡さえくれれば、いつでもコウジはウェルカムなので、豊後大野っていうど田舎に来たいなんて言ってくれる人がいたら、いつでもコウジハウスへお越しください。
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社会人になるということ
最近になって、社会人になる(なった)ということについて考えている。
大学を辞めて、僕は大分の山奥でゲストハウスをやることになった。
【過去記事】:コウジ、大分県に移住(就職)します! - コウジの体験記
地域おこし協力隊として働いて給料をもらっているから、仕事場では社会人1年目の社員として扱われるし、仕事はビジネスだからビジネス用語や、敬語とかを全く知らない僕は、その場その場の対応を間違えては、毎日失敗を繰り返している。
こんな時、普段だったら「自分は失敗を繰り返して成長しているんだ!」なんて強がってみるけど、いまはそんな感じにはなれそうにもない。
正直きつい。
なんでそんなにきついと感じているのかを考えてみると、理由は2つある。
1つは言葉だ。失敗を繰り返している時は「すいません」「申し訳ありません」これらの言葉をとてつもなく多用する。もうこっちに来て何百回と使っただろうか。
「メンタルは言葉でできてる」なんて習ったけど、いまではその通りだなと感じる。
特に「申し訳ありません」の効果は絶大だ。【あぁまた自分はやってしまった。本当にダメなやつだな】と自分を暗示にかけてくれる。
もう1つは組織に入ったということだ。
組織に入るということは、僕は【個人】としてではなく【組織の中の個人】というものになる。つまり自分の背中に組織の肩書きがくっついたということ。
別にいまの職に全くこだわりはないから、たぶん明日「やめろ」と言われたら、すぐに荷造りをして旅立っていくだろう。だから自分が不利益を被るぶんには一向に構わないのだが、こと組織の話になるとそれは全く違うものになってしまう。
ひとたび何かをやらかせば、市や会社に不利益を与えてしまうことになる。それはヒッチハイクで乗せてもらった車で寝てしまってドライバーに嫌な気持ちを与えたとかいうレベルとは雲泥の差がある。
旅をしている時は「もっとアグレッシブに行動していけばいいのに!」なんて他人に対して思うことがあったが、社会人になったいまでは「あぁこういうことで人って丸くなっていくんだな」と思っている。
環境に不満があるといよりも、自分にっては大きすぎる(と感じる)組織のなかで「行動を起こす」ということにとてつもない不安を感じているのかもしれない。
「失敗しても自分が責任をとればいい!」簡単に言えば「辞めればいい!」という楽観的な考えではやっていけないという現実が、すごく苦しいと感じる。
人に迷惑をかけてもいいから自分の好きなことをやろうと決めたほうが生きやすいとは思う。でも組織という安定をとった僕は、そんな風に思えないのが正直なところ。
こういう時にだれかと話すことができたら少しは楽になるのかな、なんて考えると友達がいないというのはすごく寂しいことなんだなと思う。
ここまで書いてみて思ったことがある。
コウジは寂しいのかもしれない。
ビジネスではなく「ヒトとヒト」という関係で話すということができていない。
極端に言えば「クソ野郎!」と思っていることを濁してしまう。いつからそんなに扱いやすい人間になったのか。
なんだか暗いブログになってしまったが、自分の気持ちに正直なってみた結果だから、そうやって自分の嫌な気持ちを表現できた自分に「Good Job!!」と思うことにする。
こういう暗い気持ちになった時は自分が美しいと感じるものに触れる必要があるので、今日は薪風呂でもやって気持ちよく眠ることにしよう。
やっぱり火は美しい。
コウジ