コウジの体験記

コウジが「体験したこと」「感じたこと」を綴っています。

『できない』があるから『できる』が輝くんじゃないかな。

6/2〜今日まで、リゾバで仲良くなった3人と遊んでいた。和歌山では、リゾバ先からお叱りを受けた(寮をラブホみたいに使うな!って言われた)が、その後は砂浜(勝浦の海はメッチャキレイ!!)で花火をしたり、淡路島ではバナナボート(コウジの海開きでした!!)やコテージでの宿泊(小4?以来)など、とにかく楽しかった。いまから夜行バスに乗って東京に帰るのだが、21時に出発なので、神戸のカフェでコーヒーを飲みながらこの記事を書いている。

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 「できない」があるから「できる」が輝くんじゃないかな。

リゾバで仲良くなった友達とは、一緒にいた期間だけで考えたら一ヶ月ちょっとだったと思う。けれどメッチャ仲良くなれたのはどうしてかな?って考えたら『頑張ればできることをあえて頑張らなかった』からだと思う。

https://www.instagram.com/p/BVB-3fEFCSJ/

淡路島たのしかったー!#楽しい #バナナボート #淡路島 #コテージ

4人で集まる時に、自分にできたのは料理を作ることや動画を撮ることぐらいだったと思う。基本、寝るのが好きで、ダラダラしていたいので、家事を手伝ったりするのはあんまり得意じゃない。たぶん家事とかも頑張ればできたんだけど「頑張ればできる」って状態は短期的(その場しのぎ)には有効なだけで、長期的になってくると、自分をすり減らすことになっちゃうんじゃないかな。

【過去記事】

不調和の8割は「頑張りすぎ」 - コウジの体験記

人って誰かができればやらなくなる習性(3.4.3の法則的なもの)がある気がして、「誰かができる!」と分かればたぶん自分ではやらなくなるし、やったとしても、そのほとんどを相手に任せてしまうようになると思う。けれど「頑張ってできた」方は、毎回の如く「普通にできる」を周りから求められ、そのギャップにシンドくなった本人がバーン!と爆発してしまう(かもね)。さらに言うなら、自分が頑張ってしまうことで、それが得意な誰かの輝く瞬間を奪ってしまうことにも繋がるんじゃないかとさえ思う。自分にはできることもあるけど、できないことの方が圧倒的に多くて、誰かに頼らなければ生きることも難しい。だから自分の「できる」ことを増やすってのは、誰かの「できない」を埋めることにもなるけど、自分の「できない」はマイナスなんかでは全くなくて、誰かの「できる」を輝かせること(その人の100%を引き出すこと)に繋がるんじゃないかな。「できないこと」に対して、ダメな自分…なんて気持ちを持つより「できること」「やりたいこと」に集中することの方が圧倒的に大事だったりするのかもね。

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コテージで食べたアヒージョ。

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第1回 水風船投げ祭り 直前の写真

この後は地獄だったよ。楽しかったけどね。笑

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サイコーに美味しかった淡路島牛

 

 それじゃまたね!