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不調和の8割は「頑張りすぎ」

和歌山でのリゾバを終え、いまは岩手にきている。今回のリゾバはすごく楽しかった。それはたぶん、好い事も悪いことも、同じ分だけ共有したからだと思う。たった3ヶ月ほどの短い付き合いだったが、ここまで仲良くなれるとは思わなかった。なんか【青春】した気持ちになった。そんでいまは「コウジの人生、自由に使ってください!」の依頼で、路上ライブを行うため、夜行バスに乗って岩手県まで来た。想像以上に寒い。かなり軽装で来てしまったので「これは死んだ」と思った。岩手での路上ライブがどんな感じになるかわからないが、まぁどんな感じになるとしても全力で散ってこようと思う。

 

koji-diary.hatenablog.com

 

やりたいならしのごの言わずやればいいんです。

3日前に和歌山を出て、大阪までヒッチハイクをした。その日に坂爪圭吾さんのトークライブがあり、ちょうどいいなと思い参加してみた。

https://www.instagram.com/p/BT8CH4pFnM9/

今日はねーこれから坂爪さんのお話会なのー!坂爪さんからお花もらっちゃったーカフェスローのコーヒーも美味しいなぁ!

 

坂爪さんはブログでは拝見していたが、実際に会うのは初めてだった。印象としては、「すごくシンプルな人」という感じだった。無駄な部分をすごくそぎ落としている人という感じだ。その坂爪さんに、トークライブが終わった後、話しかけにいった。結論から言うと『殺された』のだった。どういうことかというと、僕が「坂爪さんてすごくシンプルですよね。いつからそうなったんですか?」みたいなことを聞いた。しかし坂爪さんは僕の言いたいことを一瞬で察したのか「それは荷物を減らしたいということですか?」と聞いてきた。そこで「はい」と答えると、「やりたいならしのごの言わずやればいいんです。」と一刀両断された。その瞬間、まったく動けなかった。もしかしたら本物の刀で切られた時も、一瞬切られたかどうかわからなくて、身体は固まるのかもしれないと思った。ぼくは「はい…。ありがとうございます。」と言ってその場を去ったのだった。

不調和の8割は『頑張りすぎ』

大阪でのトークライブを終えた後、そこで知り合った人に埼玉まで乗せてもらえることになった。しかし道中、どうしても眠くなり、「すいません、眠いです。」と伝えた。すると「寝ておいていいよ」と軽く答えてくれた。この瞬間に「あぁ俺は頑張りすぎていたのかもしれない」と思った。それまでのぼくは、ヒッチハイクをしている最中は「寝てはいけない」「盛り上げなきゃいけない」とすごく気を張って頑張っていたと思う。でも久しぶりにヒッチハイクをしてみて(というか坂爪さんに殺されてから)、それがすごくしんどくなった。だからスパッと!やめてみることにした。するとなんだか気持ち悪い感じがする。でもドライバーさんは特に何かを言ってくるでもない。少し睡眠をとると、今度はドライバーさんが眠たくなってきたみたいで、運転を変わることになった。浜名湖まで車を進め、そこで野宿することになった。たぶん、この時に頑張って起きることもできたと思う。でもそうしていたら運転を変わることはなかったと思うし、むしろもっと前でしんどくなって車から降りていたと思う。

たぶんだけど、不調和の8割は『頑張りすぎ』からきているんじゃないか。言い換えれば【お節介】のことかもしれない。「自分がやらなきゃ」という気持ちによって、誰かが「普通にできる」ことの芽を摘んでいるとしたら、頑張ったらできることをあえて頑張らない。するとそれを自然とできる人が現れる。なにか不調和が起きている時っていうのは、ほとんどが「頑張りすぎ」なんだと思う。そのままでいい。むしろそのままがいい。

 

ありえないから未来が生まれる

昨日は久しぶりに地元に帰ってきたから、長くなった髪を切ってくることにした。かれこれ4年近く同じ人に切ってもらってるんだけど、その人と話していると、最近の考えていたことが整理されて面白いんだ。髪を切りにいってるんだけど、そうじゃないみたいな感じかな。

https://www.instagram.com/p/BUB-JO8lmwR/

ひさびさに立川帰ってきたからねー髪を切ってきたー!おまかせな感じにしたら、はじめてのツーブロになったー!ちょっとさわやかな感じになったかなー笑#ツーブロック #メンズヘアサロン

ここ1年ぐらい、ぼくは地元を飛び出して日本全国を飛び回っていた。リゾバ、WWOOF、ヒッチハイク、野宿、0円旅、とにかくいろんなことをしてきた。そこでわかったことは常識なんてすぐ古くなるんだなーってこと。それは世間的なものにも当てはまるっちゃ当てはまるんだけど、ここでの意味合いは自分自身の常識みたいな感じかな。高校時代までの自分といまの自分を比べたら、たぶん全くの別人に見えるかもしれない。それぐらい変わったねと言われることが多い。たぶんそれは、自分がダサいと思って切り捨ててきたからだろう。例えば、昔だったら「チームのみんなで大きな目標に向かって頑張ること」がすごく美しいと感じていたけど、いまはとっても気持ち悪く感じる。なんかすこしでもそこの道から外れようもんなら、みんなから「悪」にされちゃうような気がして、それよりも「みんながやりたいことをしていたら面白い結果になった」ってほうがいまは「いいな!」と感じている。今はあり得ないと思うことでも、未来では当たり前になっているかもしれない。例えば「試合中にグランドで寝ている」みたいなことってあり得ないけど、そんなあり得ないことから、新しいアイデア(未来の当たり前)が生まれるのかもしれない。そうだとしたら、僕は今のあり得ないを大切にしたいな。