コウジの体験記

コウジが「体験したこと」「感じたこと」を綴っています。

早くOFFにならないかな。

早くOFFにならないかな。

 昨日、寝る前にこんな本を読んだ。

今までにない職業をつくる | 甲野善紀 | 本 | Amazon.co.jp

その中に『稽古がない日が嬉しい現代』みたいなことが書いてあった。そこを読んで自分の現役時代を思い出した。僕は4歳からサッカーを始めて14年も続けた。高校時代は東京でトップにもなったし、それなりに充実していたと思う。でもいま思えばあの時の自分はずっとサッカーが嫌いだったんだなと。だってOFFの日が楽しみでしょうがなかったし、僕の中では練習は『辛い』もの、OFFは『楽しい』ものという位置付けなっていた。

ではなぜ僕はサッカーを14年間も続けたのか。もちろん好きという気持ちがあったのは確かだった。でなければさすがに続けることは難しかったと思う。でもそれよりも大きかったのは『意地』と『プライド』だと思う。小さい頃からできないことがあっても割とすぐにできてしまうほうだった。だからそれなりに褒められていたし自分自身に自信を持っていた。

できないことがあればできないと認めたくなかった。でも自分はサッカーが下手だった。自分はサッカーが人よりできなかった。『意地』や『プライド』が邪魔して、僕はそれを認められなかった。『いつの日か見返してやる!』そんな思いを持ちながら続けていた。だからただサッカーが好きだったのではなくサッカーで見返したかったのだ。

 

『意地』や『プライド』の為に『主将』という名前にこだわった。『サッカー部』という名前にこだわった。『侍スポーツメンタルコーチ』という名前にこだわった。ただサッカーがしたかっただけなのに。そんな『意地』や『プライド』が邪魔してきて相手と本物の関係になれない。自分で作っているってわかっても手放すことのできない感覚だ。山下浩二になりたい。なんかの名前の付録の山下浩二ではなくて。


職の名前なんてその人を表すものではなくて切り口だってわかっているのにどうしてもこだわりたい自分がいる。でもそんな自分を壊した時はすごく爽快な気分だった。そう、サッカーをやめた時だ。なんでもできる気がして視野が一気に広がった感じがした。今もそんな感じがしている。

今の自分にとっては毎日がOFFだ。なんでもできる。何かに向かうことをやめたらOFFなんてほしく無くなるのかもしれない。何かに執着することをやめたらOFFなんていらなくなるのかもしれない。この感覚を大事にしたい。

 

こうじ