思うこと言わねば腹ふくる…。

どうせ生きるなら、言いたいこと言って、やりたいことやってみる。そんな日々を綴ったブログです。

『ポリアモリーの世界』

こんにちは。コウジです!
隠岐の島での生活(毎日新鮮な魚食ってます!最高すぎ( ^ω^ ))もあとわずかとなりました。なんだか寂しいなぁ。

そんな今日は最近やたらとくる自分へのメッセージのお話を書こうと思います。


いつからかなぁ。多分9月ぐらいから


『彼女いるの?』
『恋愛しないの?』
『結婚とか考えてるの?』


急にそんな話をめっちゃされるようになりました。(本当に急に増えました!)ぼく自身、高校時代にお付き合いしていた人と別れてからずっと彼女はいませんので、欲しいなぁなんてぼんやりと考えていたことはあったんですけどここまでみんなから言われるとこれはメッセージなんじゃないかって感じていました。笑


ただちょっとお恥ずかしい話なんですけど、ぼく付き合うのがめっちゃ苦手なんです。(なんのカミングアウト。笑)
付き合っても続くのは3カ月〜半年といったところでいつも別れちゃいます。飽き性と言われればその通りなんですけど…笑


ただ付き合うってなるとなんだかぼくのことを所有されている感じがしてすごく嫌なんです( ;´Д`)
なんかぼくはぼくで楽しみたくて彼女は彼女で楽しんで欲しくて。それを共有できたらさらに楽しいだろうなっていつも感じてました。でもそれをうまく伝えられなくて別れちゃってました。


そんな付き合うの下手なコウジなんですけど、昨日ある記事がタイムラインに流れてきて「これはもうメッセージ以外の何物でもない書こう!」と思い立ったのです。


その記事が題名にもなっている『ポリアモリー』のお話でした。


ポリアモリーとはごく簡単に言うと合意のもとでお互いが複数の人と付き合うという関係性のことです。ですがLGBTと同じように性的マイノリティの部類に入るみたいで社会的にはあまり認められていないみたいです。

nihonzine.com


ですがぼくはそのポリアモリーの記事を読んでビビッときてしまったのです。いやだってこんだけ離婚とかが社会問題になっている中で1人対1人の形こそが素晴らしいみたいな風潮はちょっと違和感を覚えます。決して浮気を肯定しているわけじゃないけど、お互いが幸せになれるんならこれからの時代は1対1以外の愛の形があっても面白いんじゃないかと思うんです。


ぼくは男性のバイセクシャルの方にヒッチハイクで乗せてもらってお話したことがあるんですけど、いろんな話を丁寧に聞いてくれるような本当に深い愛を持った素晴らしい人でした。
みんながそうなればいいってもんでもないけど、これからの時代を創っていく上で新しい形を持った人がもっと生きやすい環境や雰囲気を作っていくことが大事かなと思っています。


智頭で滞在させてもらったホストの旦那さんはぼくと同じぐらいの年の時、ポリアモリーと同じようなことを試してみたことがあると言っていたしぼくも実験的にやってみるのも面白いかなと思っています。


子どもはどうする?とか結婚はどうする?とか決まっていない部分も多いけど、そういった部分も含めてポリアモリーたちの中で話し合い創造していくような独自の形があってもいいかなと思っています。

 

ポリアモリーの前にまずは出会いからですね。笑


ってことで今日はここら辺で!

そんじゃまた!

『スポーツ選手が家庭菜園をする日まで。』

こんにちは。コウジです。

 

「サッカー馬鹿になるな。」


ぼくは小さい頃からサッカーをやっていたのですが、どんな時もサッカー馬鹿になるなって言われてた気がします。

 


今までは疑いもなく


「サッカー馬鹿にはなるな=文武両道をしっかりする」


って思ってたんですけど、最近になってなんか違うよなって思い始めました。友人と話してみて自分の考えがまとまったのでちょっと長くなるかもだけど書いてみようと思います。


サッカー馬鹿というのはサッカーだけにのめり込んで他のことをおろそかにするなという意味で使われていた気がします。それが勉強と結びつくと文武両道という言葉になり、武士道的なものに結びつくと礼節の大事さなどになると思うのですが。


でもそんなことの前にぼくは考えなきゃいけないことがあると思うんです(T . T)
まず僕たち人間はホモ・サピエンスという動物です。ということはより良い子孫や世界を残していくということが最重要課題な訳です。そのために3大欲求と呼ばれる食欲、性欲、睡眠欲という3つがあるのかな〜。


ということはまずヒトとして考えていくべきはどうやって生き残っていくのか?あるいはどうやってより良い子孫を残していくか?ということになるはずです。


そう僕たちはヒトという動物なのです!

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さぁここでサッカーというものが生きるために必ず必要か?と考えればNO!となるでしょう。サッカーをしていても食べ物が得られる訳ではないので。(死んじゃいます。笑)じゃあサッカーなんかなければいいのか?と考えると違うと思います。サッカーというものはよりよく生きるためにヒトが思いついた遊びだと思います。スポーツから感じられる感動は本当に心動かされるもんなー。


だって毎日毎日生きるためだけに暮らすなんてぼくは嫌です。たまには違うこともして遊びたいじゃないっすか( ;´Д`)


しかしサッカーは遊びであって必ずしも生きるために必要なものではないのです。
そうやって考えると、ヒトとして生きるということや子孫を残すということを身につけろ!という意味での『サッカー馬鹿になるな』という言葉は素晴らしい言葉だと思います。


例えばスポーツ選手は身体が資本です。身体が壊れた瞬間にその選手は引退です。さぁその身体を作るのは日々の食事や睡眠、そして精神状態などが挙げられるでしょう。ということはパフォーマンスを上げていくには少なくても身体のパフォーマンスを高めていくための知識や経験が必要になってくると思います。

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しかしそれを昔の人たちで考えれば当たり前のことだったはずなのです。だって身体が壊れたら飯が食えないんだから。スポーツできないとかのレベルではなく普通に死んじゃいます。笑


しかしちょっと知識を持った人は何を食べたらいいとか何時に寝たらいいとかどんなメンタルトレーニングをしたらいいとか、そんなところで止まってしまいます。


いやいやそんなことじゃなくてまず自分で狩猟したり野菜作ってみなよ!って言いたくなっちゃいます。


ぼくはWWOOFをしてみていかに自分が生きるということから離れて生活していたのかを実感しました。だって作物作るのめっちゃ大変なんだもん。稲刈りとかズッキーニの収穫とかもう腰折れそうだもん( ;´Д`)
あるいは鹿を捌いた時は命を頂いて生きているんだから食べさせてくれた鹿の分まで精一杯生きようと思ったり。

 

 

でも僕たちヒトっていうのは苦しかったり辛かったりするけど生きるためにそういう生き方を何千年あるいは進化を辿れば何万年と続けてきたわけです。

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スーパーに行けばなんでも売っているなんてここ数百年だけなんだと思います。だとすればヒトという動物としての生き方の根っこを身につけるということが教育なんだと思います


でもぼくだって東京で生きていたらそんなことはこれっぽっちも考えていなかったし現代では当たり前なのかもしれません。

 

ただそれを当たり前で終わらせていいのか?と考えたらぼくはNO!!と声を大きくして言いたいと思います。

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だって農家や漁師や猟師の人あるいは大工や服を作る人がいて衣食住という環境を保証されているからこそサッカーという遊びをすることができるんです。

 

だからぼくは家庭菜園をするサッカー選手が生まれたら面白いなぁなんて思っています。あるいは養鶏したりもいいかもしれません。(卵は貴重なタンパク源ですからね。)本当にすこしでいいから生きるということと密接した中で生きて欲しいと思います。だって切っても切り離せないものだから。

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さらに現代は食の問題やそれ以外でもいろんな問題を抱えています。でもなんだこの社会は!って中指立てていてもしょうがないです。それだったら新しい形を模索しながらでも想像していく必要があると思います。


スポーツ選手なら練習はせいぜい2〜3時間で他はフリーの時間になるし、それなら畑でも出て自分の鍛えたい筋肉を意識しながら耕すのも面白いんじゃないかな。あるいはオフの日なんかに山に入って動物追いかけて狩猟をすればいい感じの有酸素運度にもなるでしょ。笑

 

ずっとスポーツのこと考えていたら息がつまるし自然と共に過ごしたらいい感じのリラックス効果も生まれそうだなぁ。(全く根拠はないけど自然と共に生きると身体の調子はいい感じがする。)

 

さぁまとめるとぼくが言いたかったのは人として生きる能力を身につけてからスポーツしようよ!って話でした。


そんな教育ができるような場づくりをこれからできたらいいなぁなんて考えています。まぁ言ってみりゃ昔の人たちの生き方も見直してみて現代の生き方を再構築していこうぜ!ということです。

 

『サッカー馬鹿になるな=生きる力も身につけよう!』

 

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そんな意味合いでぼくはこれからこの言葉と付き合っていこうかと思っています。
長くなったので今日はここらへんで。
そんじゃまた!

「出雲ゲストハウス いとあん」に泊まってみた。

こんにちは。コウジです。

先日書いたヒッチハイクの記事についていろんな反応をもらえて嬉しかったです!

さて今日はあるゲストハウスのご紹介をしようと思います。
そのゲストハウスというのが「出雲ゲストハウス いとあん」さんです!


どんなゲストハウスなのかちょこっとHPから引用したいと思います!

 

出雲ゲストハウス いとあんは、出雲観光の玄関口であるJR出雲市駅一畑電鉄出雲市駅から徒歩5分の場所にある小さなゲストハウスです。
いとあんはもともと昭和の時代に出雲へおとずれた商人たちの
旅館として営業していた建物を、ゲストハウスとして生まれ変わらせました。

出雲ゲストハウス いとあん 公式サイト-Izumo hostel itoan- | 出雲ゲストハウス いとあん 公式サイト

 

ぼくはいま、「いとあん」さんに泊まらせていただいているのですが、さすが旅館をリノベーションしただけあって内装の雰囲気はいままで泊まったゲストハウスの中でもトップクラスだと思います!!


ですがぼくが思う「いとあん」さんの一番いいところは、、、

ズバリ!!

 

オーガニックな食事をスタッフの人と一緒に食べられるところ!!だと思っています。

 

一緒に食事ができるって本当にいいもんです。
どうしても旅人ってなると独りでコンビニ飯とかになりがちなんですけど、「いとあん」さんはそれをぐるっと覆してくれた温かみのあるゲストハウスです!
いやーそれにしても一緒に食べたご飯がうまかったなぁ。

一緒に美味しい食事を食べ、話をして、笑いあう。そんな時間が旅の疲れを癒してくれます。

 

出雲大社に参拝する時はぜひ「出雲ゲストハウス いとあん」さんに泊まってみてくださいね!
あと!出雲だったら日御碕神社にも参拝してみてください!


それじゃまたね!

「ヒッチハイクは乗せてあげる人こそすごい!」

こんにちは。コウジです。ぼくはいまヒッチハイクを主な交通手段としながら日本全国を旅しています。

 

最近は高速バスやLCCも進化していて金銭的な部分ではあまり得にはならなくなってきています。そんな中でなぜヒッチハイクしているの?と聞かれることもよくあります。
そんな風に聞かれた時ぼくはこうやって答えます。

 

『出会いが楽しみなんです!』

 

そんなこと言うと「そんなこと言ったってタダで移動できるからでしょ?」なんて突っ込まれます。もちろん「やったータダで移動できるぜー!」という下心も持っています。笑

 

しかしぼくがヒッチハイクをする時に一番得たいものは『出会い』なんです。

 

ヒッチハイクをしているとどんな人が乗せてくれるかわかりません。男の人なのか女の人なのか、あるいは家族だったり。カップルが乗せてくれた時に目の前でイチャイチャされた時はなんとも言えない気持ちになったけど。笑

 

でも本当にいろんな人と出会います!大学にただ通ってるだけだったら絶対に出会わないような人と出会えています。

そんな様々な乗せてくれる人からいつもこんなこと言われます。

 

『すごい勇気だねー。私はそんなんできなかったわー。』

 

ぼくはこの言葉を言われると「別に楽しいことをやっているだけですごいとか比べるものじゃないのにな…。」と思って返答に困ってしまいます。

 

でもぼく思うんです。

 

ヒッチハイクで乗せてあげる人の方がすごい!』

 

いやだって、どこの誰かもわからない道路に立っていたやつを車に乗せてあげて、見返りも求めずにタダで連れて行ってくれるんですよ!!

 

それだけで仏様みたいな心の器を持っているじゃないですか!

 

さらに!こんなヒゲにロン毛、身長でかくて、アジア風のパンツを履いたかなーり怪しげな男を『いいよー!』って笑いながら乗せちゃうんだからもう『あんたは神様ですか!』って毎回突っ込みたくなるんです。笑

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だからねぼくの方から乗せてくれた人たちに言いたいんです。

 

『あなたの方がすごい勇気を持っていますよ!』って。

 

さらにはお互いがその場にいるのが1分だって遅ければ出会えないわけで

 

もうこれは『運命』という以外に何があるんでしょうか?

 

そんなすげー心の広さと「とてつもない勇気を持った人」との『運命の出会い』が楽しみでしょうがないんですよ!


だからぼくは明日からもヒッチハイクをしようと思います。


『運命の出会い』を求めて…

 

あなたの住んでいる街でぼくが現れたらその時はよろしくね!笑

「結局お願いするのかよ!」という自分自身へのツッコミを入れてこの体験記は終わりにしようかと思います。

またね!

あれ?足首痛くない!の巻

お久しぶりです。笑

そういえば全く更新していなかったなぁと思ったので…

今日は久しぶりにWWOOFでの経験でも書こうかなと思います。笑

足に重りがついちゃった。

今から5ヶ月前。僕は高野山に行く準備をしていました。大学を休学して外でいろんなこと経験するんだ!!と意気込んでいた最中、僕の左足首に異変が起きていました。


『あーきちゃったよ。まじか最悪。。。』

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13年間のサッカー生活で僕の足首はグラグラになっており、足首が外れたような感覚になってしまうのです。まぁ痛くて痛くて歩く気が失せてしまう感じです。
それがそれがこの大事な高野山に行く直前に起きてしまい。。。
すげー萎えたのを今でも覚えています。


でもいつもだったら2週間ぐらいで治るので、まぁ大丈夫だろうぐらいに思っていたのですが…


2週間経っても1ヶ月経っても3ヶ月経っても治らず。。。


しまいには足首に突起物のようなものができてしまいました(´Д` )

もう痛くて痛くて仕事になんてならないぐらい…


14筋体操、経絡マッサージなどとりあえず今まで習ったもの試しても全く効果はなく…
タッチフォーヘルスと鍼灸の治療も受けてみましたが効果は薄く…

もう半ば諦めていたのでした/ _ ;


しかしその後『身体ってやっぱり本当に面白いな!』

って改めて思わされる出来事に僕は出会ってしまうことになるのでした。

 

ん?どういうことだ?屋根?えっ屋根?

足首に突起物ができたのが4月の後半。

それからもう3ヶ月がたった頃。僕は岐阜県高山市にWWOOFをしに来ていました。

その朝食での出来事でした、

 

『浩二君は高いところ平気?』

 

正直なところ高いところは大の苦手で、昨年の実践BBQでも10mからの飛び込みで溺れかけていたのです。。。(笑えない。泣)

 

『もちろん大丈夫です!!』

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なんの勢いなのか、僕はそう答えてしまったのです。(笑えない。泣)

 

『おー!いいねぇ。よしそれなら屋根を貼ろう!』

 

(ん?どういうことだ?屋根?えっ屋根?????)

一瞬で僕の頭は???だらけに。笑

 

まぁでも最初のWWOOF先(広島尾道市因島)で小屋を作っており、そこでも屋根を張ったことがあるから大丈夫だろうぐらいに考えていました。

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しかし、待っていたのは高さ18m級のでっかい建物だったのでした。(広島は3m級だったから比べ物にならない/ _ ;)

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余談ですが、この建物は70歳のワイルドじいちゃんが里山から木を切り出して全部自分で立てちゃったんです(すごすぎ笑)


どうする浩二。


『すいません。やっぱり怖いです。』

 

そうやって言って違う仕事にするか。。。

僕の頭の中はそれはそれはもう急速回転でいろんなことが駆け巡っているわけです。


『よーし、じゃあ行こうか!一応だけど命綱つけとこうか!』

 

しかしその時はもう来てしまったのです。

 

『はい。。。』

 

ということで18m級の建物の屋根に上ることになった浩二。

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ヒョイヒョイとじいちゃんは僕の目の前で屋根に登っていく。


「なんていうじいさんなんだ(´Д` )」


命綱は付いているとはいえ屋根の下は丸見え。


「足はガクガク…手はブルブル…」


しかし僕は決死の覚悟でハイハイするように一歩ずつ進んでいきます。

 

『その板取ってくれ!』


『はい!』

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『この板押さえといて!』

 

『はい!』

 

とにかくその場の作業に集中するしかありませんでした。

でもそのおかげで少しずつ少しずつ僕の体も慣れていき、そのうち立って歩けるようになっていました。

 

そんな僕におじいちゃんが、

 

『お前もここ打ってみるか?』

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と初めて雑用以外の板張りの仕事を頼まれたのです。

とにかくやってみて、最初は失敗して…

 

『こっちで打つんだよ!小学校で習っただろ?』


「ちゃんと図工の授業やっときゃよかった…」といまさら後悔…


そうして屋根張りの手伝いをを何日も何日も続けていくうちに、少しずつ少しずつできるようになっていって、自分が屋根の上にいることなんか忘れたかのように楽しんでいました。

とうとう完成が目の前に迫る頃には、屋根の上をじいちゃんよりも早くヒョイヒョイと走るように動くまでに成長していたのでした。

 

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そんな完成間近の時にじいちゃんが僕にこう聞いたのです。

 

『お前こういう土木関係のアルバイトでもやってたのか?』


僕はそんなの全くなかったから

 

『いいえ全く初めてですよ。』

 

と答えたのでした。


『本当か!?』

 

そしたらじいちゃんが目ん玉まんまるくしてびっくりしたのです。


それぐらい僕は手馴れた様子で作業していたようで、まさか初めてだとは思わなかったようです。

 

そんな話をした後、

久しぶりに左足首が気になったので触ってみると

 

「あれ?いつもの突起がないな?」


試しに曲げたり伸ばしたりを何回も繰り返してみても

 

『あれ?足首痛くない!』

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自分自身で調整してみても…

セラピーを受けてみても…

なにをしても5ヶ月もの間ずっと悩まされていた足首の痛みが

屋根に登ったことで消えてしまったのでした。


おしまい。


長くなりましたが最後までお付き合いいただきありがとうございました。
右半身顔面麻痺、突発性痙攣、椎間板ヘルニア…などなど
病気と呼ばれるようなものを自分の身体で直してしまっている僕としては、「また今回も治っちゃった!」って感じなのですが、
もし痛みや苦しみを感じている方がいれば、自分の身体の声にしっかりと耳を傾けて貰えば、案外奇跡って起こるものなので希望を失わないで欲しいなって思います。
そんじゃこれから鳥取へ向かいますのでまた更新しますね!!

人に出会い、自然に出会い、その目の前にある、見て、聞いて、感じた『生の体験』が自分の中にある大切なものを大きくする。〜高野山の巻〜

4月に大学を休学して、日本全国を回りながら様々な『生の経験』を積もう!と始めて早くも3ヶ月が経とうとしてます。いまは広島県因島から東京に帰るためにヒッチハイクをしていたところ、途中で拾っていただいたNさんというスーパー優しい方のお陰で在来線を使って東京まで帰ることができるようになったので、東海道線の中でこの記事更新しています。

ここまでの旅のキセキ(軌跡と奇跡ということをGReeeeN風に。笑)

ここまでの休学した1年間の流れをちょっと振り返ってみると、

高野山宿坊で働く(リゾートバイトのアプリを利用して4月〜5月末まで。ここで一緒に働いた川ちゃん、通称ヒッチハイクの名人にヒッチハイクの極意を伝授してもらう)→ヒッチハイクで大阪へ(大阪を3日間観光)→ヒッチハイクをして東京へ戻る(東京で10日間ほど休息を取る)→広島県尾道市因島で働く。(WWOOFを利用。3ヶ月の予定だったがホストの家族と合わなかったのと広島の大雨による土砂災害によって6月15〜23日という超短い期間で打ち切り)→ヒッチハイクして東京を目指す→ヒッチハイクの途中でスーパーやさしいNさんのご好意で岐阜に宿泊→New!!スーパーやさしいNさんが「電車で帰りな!」と西岐阜〜立川間の乗車券を買ってくれたので電車で東京へ向かう。

 

ここまで日本の中の2ヶ所を回ってきたわけなんだけど、朝起きて大学に行って、眠たい講義を聞いて、同級生とバカみたいな話をしたりサッカーして、地元帰ったらバイトして、家に帰ったら風呂入って寝るだけ。みたいなごく普通の大学生活を送っていた昨年よりは充実しているなぁと感じてる。でもそれを感じることができたのは、そんなごく普通の大学生活をしたからなんだろうなぁと最近は強く感じるようになった。そういった意味ではどんな経験も後から考えれば無駄じゃないんだなぁと思う。

それでもその一瞬一瞬は辛かったり、怒ったり、嬉しかったりいろんな感情がグチャグチャしてその時には受け取れなかったりするものなので、あえてこの記事でそんな瞬間を引っ張り出して新たな気づきなんかに触れられればいいなと思って何回かに分けて記事をまとめようと思います。(割と赤裸々に書こうかな。笑)

 

社会ってこんなにも辛いものなのかということを知った高野山。 

旅の1発目は『高野山』でした。しかし最初に乗ったケーブルカーには僕以外、全員外国人という異様な光景。期待が一瞬で不安に変わってしまいました。そんな不安の予感はまさに的中してしまいました。従業員はお坊さん2人。うち1人は5日前に入ったばかり。。。「とりあえず今日から仕事ね。」という指令によって何もわからない僕は5日前に入った1歳年下の寺生に仕事を教えてもらうことに。しかし忙しい。明らかに人数が足りておらず、みんながオーバーワーク気味に働いている。僕の最初の1週間の平均労働時間は14時間にも及ぶ勢いだった。僕はなんてとこに来てしまったのだとそこで悟った。笑

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人間関係、食事…etc 体は正直にここに居たくないと言ってくる。

しかしこのお寺が抱えている課題はそれだけではなかった。いくつもある中で僕に大ダメージだったのは人間関係だった。とにかく大の大人たちが意思疎通ができておらず、さらには嫌いな奴の愚痴を毎日お互いから聞かなければいけないというダブルパンチを喰らったのだった。

そんなストレスと毎日のように出る添加物たっぷりの冷凍食品のまかないによって僕の体はこれまでの人生で一番と言っていいほどだるさや重さを感じました。

あぁ体は本当に正直だなぁと思いました。僕は前よりは嫌なものにはNO!と言えるようになってきたけどまだまだ全てがそうなわけではなく、そうやって体が示しているシグナルを拾うことがこれからの課題だなぁと一人で納得していました。笑

人に出会うことで自分の世界は広がる。

しかしそんな嫌なことではなく、『来年世界一周したい!』と外国人のお客さんに英語で話すと是非私たちの家に泊まりにおいで!とメールアドレスを渡されたりなど外国人の方を中心としたお客さんとのふれあいはとっても楽しかった。さらに英語漬けだったせいかちょっぴり脳の回路が英語脳に進化してきたかもしれない!(イェイ!!)
あと僕の中で大きかったのは一緒に働いた仲間の存在だろう。オーガニックに気を使っているスピリチュアル系の川ちゃんやオーガニックカフェのオーナーのタケシさんは僕に新たな視点をたくさん与えてくれたと思う。そんな人との出会いによって、僕の感情は爆発せずに冷静さを保ちながら新たな地へ旅立つことができたと思う。

https://www.instagram.com/p/BF5IU8rFcX2/

庭が綺麗やなぁ。

タケシさん名言集

『人を勝手に信用しないほうがいい。例えばお坊さんは皆素晴らしい人だ!なんて誰が決めたんだ?どうしても人は自分のフィルターを通して見てしまうものなんだ。でもそれは全部自分の思い込みなんだよ。』

『こうじ:旅にこれは必要だったな!とかってなんかありますか?

→タケシさん:何にもないよ!旅に出ると人生に必要なものは本当に何もないってわかったんだ。それが18,19の時にわかったのは大きかったなぁ。(18,19歳の時に自転車で日本1周をした経験より)』

月収30万円という甘い蜜に毒されたこうじの体

どうして嫌なのに2ヶ月も居続けたのか?それは月収30万円という僕からしたらあまりにも大きなお金が存在があった。僕にはちょっとした借金の返済や海外渡航するための資金が必要だった。なので余計にお金を稼ぐというものに自分を縛り付けていたんだと思う。『でも本当にお金だけがそんなに必要なのか?』自分の体がボロボロになるにつれてそんな疑問が僕の頭をよぎるようになる。それからだんだんと自分の中で整理がついてきて、ある日『今日クビと言われてもいい!思っていることはしっかりと伝えよう!』と決心した。そこからはお金ということよりも人や環境といったもののほうが働く中で自分の中では大事なんだな!と気づくことができた。2ヶ月で60万円という十分すぎるお金を手にした僕は高野山を後にすることに決めたのでした…。

 

 

今回の体験リスト

・お膳運び(平均7段をお部屋まで)

・日本式のお客様への作法(おもてなし感すごいめっちゃ丁寧)

・雑巾掛け(お寺の中の長い廊下をひたすら雑巾掛け)

・英会話(ビジネス英語を中心にレベルアップ!)

・チェックインとチェックアウト(宿泊業の実務)

・トレイルラン(熊への恐怖と鳥のさえずりという自然のデカさを感じる)

高野山の寺巡り(奥の院は本当に素晴らしい)

 

https://www.instagram.com/p/BFvMB7Ilcey/

これから初のトレイルラン!!熊が街に出てきていて危ないらしいけど、行ってきまーす!

次は『初めてのヒッチハイク大阪観光編』へ

 

まだまだ旅は続くぜッ!!

こうじが考える『未来の大学』②

実践するからこそ身体に身につくんだ。

タイから戻ってきてからもう5日が経つ。時間が経つのは早いなぁ。ここ何日はここ最近のことをまとめる作業をやっている。その合間にタイの子ども達から毎日メッセージが届いてきていて、それが案外英語の勉強になっているので「あ〜やっぱり実践する機会があるから初めて学びになるんだな」と心底思った。そんなことを考えながらずっとまとめていなかった『未来の大学の形』について書いていきたいと思う

誰でもできる仕事はもうなくなる。

「これからの時代は誰でもできる仕事についている人は、職がなくなるか今より圧倒的に低い賃金で働働かなきゃいけない世界がやってくる。だからどんな大学を出たかじゃなく、大学でどんなことをしたか?の方が圧倒的に重要だ。どれだけ君がクリエイティブになれるかでこれからの一生が決まる。」1年生の授業の中で嫌という程言われたことだ。でも実際にオックスフォード大学のオズボーン氏は未来の職について次のように語っている。

「コンピューターの技術革新がすさまじい勢いで進む中で、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がロボットなどの機械に代わられようとしています。たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車は、これから世界中に行き渡ります。そうなれば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのです。

これはほんの一例で、機械によって代わられる人間の仕事は非常に多岐にわたります。私は、米国労働省のデータに基づいて、702の職種が今後どれだけコンピューター技術によって自動化されるかを分析しました。その結果、今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論に至ったのです」

gendai.ismedia.jp

「アクティブニート」でも就職できる社会に。

僕は現代の大学の形を否定したいとは思わない。ただそれ以外の形をもっと選べて社会的に認めてもらえるような仕組みを作りたいと思う。例えば「アクティブニートというものがある。「アクティブニートについて僕が知ったのは、去年ある授業で僕の1歳上の女性が話をしに来てくれたことがキッカケだった。その女性は大学などには進学せずに長期の国際ワークキャンプによってネパールに住み込みながらワークをしているという。そう「アクティブニートとは勉強もしていないし働いてもいないけど何かしらの活動をしている人のことを指す言葉のことらしいのだ。僕はその女性が本当に楽しそうに生きている姿を見て、大学にいながらただただ毎日の講義とレポートをこなしてる自分と対照的だなと思った。しかし「就職」と考えたらより良い条件で就職できるのは僕になってしまう。なぜだろう?これだけ「これからの時代はグローバルで創造的な人が必要だ!」と言われているのに大学という学歴がつくだけで優遇されてしまうのか。大学に所属していないと、どんな活動も意味がないのだろうか?

活動自体が価値を持つ仕組み作り

就職試験では「大学では何をしましたか?」が必ず聞かれる質問らしい。人間力で考えれば、ただただ大学行ってバイトしている人より前出の「アクティブニートの女性の方が圧倒的に人間力は高いであろうと思う。しかしその価値は学歴が伴わないと0に近いものになってしまう。そこで僕が考える「未来の形」「活動」自体が価値を持つ仕組みになることだ。しかし大学という枠にとらわれると本当にやりたいことを選べない可能性があるし、大学の単位というものに苦しめられる可能性がある。であるならば大学に限定せずに活動自体が価値を持つようになればいいのではないかと思う。バイトだったら接客のスキル、大学の研究だったらTHE専門性、海外留学だったら語学、バックパックだったら世界中の知識と勇敢さ、ワークキャンプだったら社会奉仕力、インターンだったら実務経験など、その人がやった活動全てを同列の価値として履歴書に書ければ、70点を狙ったようないい子ちゃんよりも、所々100点と50点の混ざった逸材がゴロゴロ出てくると思う。もちろんこれで全ての人に幸せが訪れるなどとは到底思わない。ただ企業もみんなが求めている能力を基準にしなくたっていいと思うし、本人が本当にやりたいことをやり続けて、その活動が社風に合うとかコンセプトに合うから価値があるな!と企業が感じれば雇用すればいいんじゃないかなと思う。ようは就職試験での質問が「これまでどんなことをして生きてきましたか?」というその人の人生自体にフォーカスを当てた質問になってほしいってことを言いたいのだ。

「未来の大学の形」

さぁここまで書くと「じゃあ大学行かなくてもいいじゃん」みたいになりそうだから、僕なりの「未来の大学」の形をまとめたいと思う。もちろんこうしなければならないんだ!みたいな訴えではなくて、あくまで未来の形の1つにこんなものもありじゃない?程度のものとして捉えてほしい。まず僕は最初に書いたように実践したり体験をするからこそ身体に身につくと考えている。だから僕は大学の講義っていう物よりも体験型の授業をメインにしていくべきだと思う。その上で大学のメリットとしては仲間ができること様々な団体との繋がり、そして専門性の強さが挙げられると思う。僕はその強みを全力で打ち出していくことこそが「未来の大学」に必要ことだと思う。

  • 魅力的な体験型プログラムを打ち出す!

仲間ができること様々な団体との繋がりを生かすなら、様々な体験型プログラムの斡旋を進めていけばいいと思う。個人では探すことが難しいようなプログラムを組んだり、いろんな団体をコラボさせてみたりして、その大学に入学しなければ体験できない魅力的なプログラムを打ち出せば入学者は集まるのではないだろうか?さらにそこに教員がファシリテーター役となってサポートをしたり、専門の授業を挟んでみたり、生徒が1つのクラスとか班みたいなグループとなって、それぞれが体験した経験をシェアして1つの議題で議論したりすれば、さらに学びは深まると思う。そのグループで何かを作ってみたっていいし、とにかく能動的に自由に実践的な学びの機会が増やしていくことが肝心だと思う。

例えばこんな感じで!!(この活動に専門のサポートと仲間がつくイメージ)

ボランティア募集情報満載! | ACTiVO(アクティボ)

岐阜のホンキ系長期実践型インターンシップ(地場産業、伝統産業、まちおこし)と言えば!NPO法人G-net(ジーネット)

 

koji-diary.hatenablog.com

 

 

  • 専門性はもっと少数の限定した人向けに!!

大学の魅力といえば何よりその専門性だと思う。その専門性を生かすのならば、もっと枠を絞るようにしたり学費を高額にして本当にその専門性を高めたい人だけが集まるようにしたほうがいいと思う。教授側としても聞きたくもない話を聞いて単位をもらっている生徒より、本当に学びたくてきている生徒に話したほうが気持ちがいいに決まっている。わざわざ大学院という形を取らずに、もっと早い段階から研究組は研究に没頭することが必要だと思う。みんながやっているから君もやらなきゃダメみたいなのは正直言って一番つまんない授業だからそんなのはやめてしまえばいいと思う。それよりか自分はこれなんだ!ってものに夢中になって研究しているほうが最高に楽しい時間になると思う。

自分の道は自分で選択する!

ここまでいろんなことを書いてきた。でも何より言いたかったことは『自分の道は自分で選択する!』ということだろう。でも正直なところ「やりたいことやったって社会が認めてくれない…。安定のためにはしょうがないじゃないか…。」みたいな声が自分の内側から聞こえてくるときがある。そんな声にいつも「確かにそうだよな。かわいそうに。」と言いたくなる自分がいる。でも例えば起業すると心に決めれば学歴なんていらなくなる。自給自足するって決めれば学歴なんていらなくなる。でもそれをするにはとっても覚悟がいるしすごく厳しい道を進むことになる。でも好きなことをするってそんなに覚悟が必要なのかな?本当にやりたいことや本当に好きなことを続けることが難しい社会ってなんかおかしい気がする。でももしかしたら目の前にあるのにただ難しいっていっているだけなのかもしれない。だから僕はちょっとだけみんなが進んでいる道から外れて『自分の道は自分で選択』してみたいんだよね。僕も『自分の道は自分で選択』している人見てかっこいい!って思ったし、もしかしたら「そんな学び方もあるな!面白そうだな!」って付いてくる人がいるかもしれないよね。だからこれからの僕自身の人生が「未来の大学」の形の1つになっていけばいいなって思うんだ。

 

こうじ