思うこと言わねば腹ふくる…。

どうせ生きるなら、言いたいこと言って、やりたいことやってみる。そんな日々を綴ったブログです。

やりたい!と思ったのなら神様の質問に軽いノリでYES!!と答えよう!!

海外デビュー

今回2月13〜26日まで大学の授業という名目で初めて海外に行くことになった。僕はある本に影響を受けて10代のうちに必ず海外に出る!そう心に決めていた。その想いが叶ったことが僕は本当にうれしかった。だがその反面、普通にバックパックで海外に出ることに少し物足りなさを感じていた。

”SOU SOU”という過去と現在が融合されたブランド。

日本ぽいモノ!と決めて初めに頭に浮かんだのは和服だった。しかし和服を仕立てる時間も買うお金も僕にはなかった。「どうしたものか…」と悩んでいた僕にある日転機が訪れる。僕は家族とたまたまホームセンターに来ていた。そこで足袋を見つけたのだった。一瞬でコレだ!!と感じた。家に帰るとすぐに足袋のことを調べた。そして見つかったのが"SOU SOU"というブランドだった。

SOU SOUさんは現代の素晴らしさ(テクノロジー的なところ。例えば和服に社会の窓が付いているところとか。笑)と過去の叡智(和の文化)を統合しているところがとても魅力的だった。これこそが新しい日本のスタイルだなとひとり心を躍らせていた。

https://www.instagram.com/p/BBcCd5sFcVE/

最高の買い物でした。これでタイへの準備はほぼバッチリ!あと1週間!!#傾奇者 #和 #sousou

いざ日本式でタイへ出発!

しかし和服だけでは満足しなかった僕はあることを思いついた。それはバックパックをやめて風呂敷に変えることだった。これで準備万端だ。ここで日本式を振り返ると、風呂敷はひとつでなんでも包めるしバッグにもなる便利ものだし、足袋は足から自然の大地を感じさせてくれる。SOU SOUの和服はとにかく過ごしやすくて、服を着ているんだけど着てないような自由さを感じることができる。美しさと合理性が兼ね備えられていた日本の伝統に僕は感動した。

https://www.instagram.com/p/BBr0sdTFcQe/

いつも俺のチャレンジをめっちゃ心配しながらも最後には「気をつけて行っておいで!」と背中を押してくれる両親にマジ感謝。 「高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいもんな」ってことで行ってきます!#国際ボランティア #タイ #peacevillage #sousou #ランニング足袋 #たまたま流れたミスチルの「終わりなき旅」

やりたい!と思ったのなら神様の質問に軽いノリでYES!!と答えよう。

僕は「せっかくタイに行くんだから日本ぽい感じでいこう!」と心に決めた。誰でも思いつきそうだが、これを実行しようとするとなかなか恥ずかしい。しかし「やろう!」と心に決めればなんだってできる。そこにもし障害が出てくるのならば、それは自分の中にいる神様が「お前本当にこれやりたいのか!?」って聞いてきているのだと思う。その質問にイエスならば全力で突き進めばいい。そうすれば障害なんて気にならなくなる。だから僕は恥ずかしさ(神様の質問)に「高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいもんな」っていう軽いノリでYES!!と答えることにした。

目標なんか達成しなくたって生きていけるさ。

今回訪れた"PEACE VILLAGE"という場所はタイの中でも田舎の中の田舎な場所だった。これが、もしこれがバンコクであったら僕は疲れていたと思う。そこの違いは時間の違いではないかと思う。タイというより"PEACE VILLAGE"の人たちは何かに追われていることがほとんど無かった。つまり時間にルーズなのだ。11時に出発と決めればだいたい出発は15〜30分過ぎる。しかしそれを誰もダメなことだと思っていない。そこに僕は本当にびっくりした。日本では『目標』というと叶えることが重視されていて、いつも何かに追われている気がしている。しかし"PEACE VILLAGE"では目標はあくまでもそっちの方向に進みたいな〜という方向性であり指針であった。そこに最初は戸惑うかなと思ったが、今回のメンバーはむしろウェルカムぐらいな感じで、その時間を有意義に使うため、コーヒーを飲んだり歌を歌ったりしていたのだった。「なんだお前はボランティアに行ったのにそんな適当に遊んで過ごしていたのか!」という声が聞こえてきそうだが、僕はそれぐらいのスタンスこそが、人生の中でとても大事なことだなと思うようになっていた。

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「やってみっか!」という軽さが人生を明るくする

今回のワークキャンプで教えられたのは『軽さ』だと思った。やりたいことには『やりたい!』とすぐ動き、やりたくないことには『俺はいいや!』と、悲壮感を漂わせず軽く答える。そんな『軽さ』こそが人生を明るくさせるのだと思う。やりたいことをやらなかった時と、やりたくないことをやった時の後悔はすごく重い感じがする。それにとっても暗い。でもどちらを決断するにも「恥ずかしさ」とか「恐怖」という神様の質問がくる。それでもなお「やりたい!」と感じるならで「やってみっか!」っていう軽いノリでYES!!と答えよう!!それだけで僕は人生が明るくなると思うんだ。

 

コウジ

こうじが考える『未来の大学』①

こんなの耐えられるか!だった受験勉強

辛かった辛かった受験勉強から1年が経ちました。

あれから1年かと思うと「まぁあれもいい思い出だな」と今は笑えるかもしれません。

昨日で僕も春休みに入ったので、

ここで1年の大学生活を振り返ってみようと思います。

僕は当初、大学に入ることをめちゃくちゃ拒んでいました。

理由は簡単です。受験勉強をやってみて、

 

「机の前でただ勉強するのが大嫌いになったから。」

 

サッカーをずっとやってきて勉強なんてしてもテスト前だけだった僕は

正直なところ、「こんなの耐えられるか!」って思っていました。

いろんな教育の形

その気持ちがきっかけで教育について調べました。

そこでわかったのは、現代の公教育が戦士を作るための教育を過去からずっと変えないで行ってきたことでした。

同時に、その問題点気づいた心ある教育者が作った素晴らしい教育の形もあることを知りました。

僕は直感でこれからの時代は後者の方が必要だ!と思いました。

そこで高校生の僕は将来「体験型の学校」を作りたいと思いました。

「勉強よりも遊びの中で農業や畜産、工業、スポーツを学べる場にしたいな〜。」

なんて考えていました。そんなことを考えているとアイデアが水のように湧いてきて、厚いノート1冊なんて余裕で埋まってしまうぐらい、自分にとっては楽しい時間でした。


まずはいろんな体験をしよう!が伝えられなかった。

でも僕は気づいてしまったんです。あっ自分が体験していないじゃん…( ;´Д`)

 

『まずは自分がいろんな体験をしよう!』


しかし、その気持ちを僕はうまく両親に伝えられませんでした。

こんな教育ダメなんだ!俺の自由にさせろ!と声高々に叫んでしましました。

その為、両親とは大げんか。大学行く!大学行かない!の決闘になってしまいました。

 

大学に入ってみて感じたこと

結局、いろんな大人の人にも説得してもらって僕は大学に行くことになりました。

しかし僕はこの判断も全て意味があったんだなと思いました。

その理由としては「これからの学びは体験型と自由」というのがキーワードになる!ということが確信できたことと、大学の内部を知ることができたことの2点です。

早く大学を出て行ってください

大学に入って初めて聞いた言葉は「早く大学を出て行ってください。」でした。

しかしよく話を聞いてみるとなるほどと思いました。

教授が予想する未来は、

ロボットの進化や発展途上国の安価な労働力により、誰でもできる仕事をする人はとても安い賃金で働くしかないが、1年だけでも海外に行けばその経験によって高い賃金で仕事をすることができる時代にこれからなっていくというものでした。

だから僕の通っている学部は他の大学よりも

アウトオブキャンパスや体験型学習をめちゃくちゃ推進しているそうなのです。

 

大学に行く意味は?

その話を聞いてとても納得した反面、とっても疑問に思いました。

 

『大学にいる意味は?』

年間120万円を支払って大学に行かずに、さらにお金をかけてアウトオブキャンパスをする。すると大体年間200万円前後かかることになります。

これはどういうことだ?とすごく思いました。

一種の詐欺じゃん!とさえ思いました。(これは言い過ぎかな。笑)

でもこのままでは、これから先大学に未来はないと思います。

創造型の人材が求められている中で、狭い空間で授業していくというのはとってもナンセンスなことだと思います。だからうちの学部は最先端のアウトオブキャンパスを採用しているのだと思いますが、これも考えてみれば2重にお金を払っているということに成ってしまいます。

 

学歴よりも経験だ!

これからの時代は学歴というのも正直関係なくなるんじゃないかな?と思っています。

僕の通っている3流以下の大学を卒業した人でさえ、年収2000万円超えている人もいるそうです。

企業側も

 

『大学名ではなくどんな経験をしたか』

 

のほうが大事だと気づいてきています。

だから就職の面接では『大学ではどんなことをしましたか?』と必ず聞かれるそうです。僕はこの言葉には『どんな大学でもいいけどどんな経験をしたかを知りたい』という意図があるんだろうなと思います。

こののような時代の流れがあるからこそ、

東大などの一流有名大学の人が就職に悩む中、三流大学でも何千万も稼げるのだと思います。

ではこれからの未来はどんな大学の形が必要なのでしょうか?

 

断糖肉食っぽいこと始めました。

学校のゼミで自由に調べてレポートにまとめなさいっていう課題があったので、ネットを中心になっている断糖肉食について調べてみました。

課題で調べてみたのでせっかくだからやってみようと始めてみました。

今日はレポートにまとめてみたことと実際にやってみた感じをシェアしてみようかなと思います♪( ´θ`)ノ

断糖肉食って何???

その名の通り、糖を断ち肉と脂を食らう!という食べ方らしいです♪( ´θ`)ノ

matome.naver.jp

えっ医療費ってそんなかかってんの!?

ここからは大学でまとめたレポートを参考にまとめてみたいと思います♪( ´θ`)ノ

まずこれを調べようとしたきっかけは、現代の医療費に疑問を持ったからです。

現代は医療技術の進化している一方で、ガン、心筋梗塞脳梗塞、アレルギー、精神疾患など日本国内でも医療費が年々増え続けており、厚生労働省が9月3日に発表した2014年度の概算医療費は、40.0兆円に達しちゃってるんです…( ;´Д`)

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『えっ40兆円!?そんなかかってんの!?』

『医療技術が進歩したら病気がなくなって医療費って下がるんじゃないの!?』

何にも知らなかった僕は素直にそう思いました。

『なんでそんな風になるのかな〜??』

『もしかしたら医療技術の進化よりも、身体の退化のスピードのほうが早いんじゃないか?もしそうなら、原因は…食事かもな!!』

ということで早速調べ始めることにしました!
調べてみると先住民の骨は現代の人の骨よりめっちゃ丈夫らしいということがわかりました。なので『身体の退化は食の変遷と密接に関わっている』という勝手な仮説と共にレポートにまとめることを決めました♪( ´θ`)ノ

 

人間って何を食べてきたんだ!?

人類は元々、肉食で生きてきました。ここでいう肉食とは、肉や魚を中心とした動物食のことです。現代に残る先住民であるネイティブ・アメリカンアボリジニーを参照にすれば分かる通り、私たちの祖先である先住民たちは、狩猟採集によって肉食を中心に食事を行ってきました。

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私たち人類の特徴といえば知能の高さですが、その知能の高さというのが肉食と深ーく関わっていたって知っていましたか???

脳の成長に必要なアラキドン酸とドコサヘキサエン酸は食事から摂取しなければなりません。この2つの脂肪酸は植物性食物には少ししか含まれていないんです…orz アラキドン酸は肉、ドコサヘキサエン酸は魚の脂に多く含まれています。なので肉や魚をたくさん食べる肉食は脳の成長、つまり知能の獲得に深ーく影響していたのです♪( ´θ`)ノ

何が身体の退化を進めたんだ!?

肉食を調べていくうちに断糖肉食に出会いました。

糖を断って肉を食う。というシンプルな点にめちゃくちゃ惹かれました( ´ ▽ ` )

『たぶん身体の退化を進めたのは糖だろう』

という勝手な思い込みから調べてみることにしました♪( ´θ`)ノ

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糖類というのは、グルコースブドウ糖)やフルクトース(果糖)などの単糖類と、蔗糖(グルコースとフルクトースが結合)などの二糖類であり、砂糖や穀物、果物、コーラやサイダーといった清涼飲料水などに含まれているものです。その糖類を過剰摂取してしまうと急激に血糖値が上昇しちゃうんです…。急激な上昇を抑えるために、血糖値の上昇を抑えるインスリンというホルモンが過剰に分泌されちゃいます。インスリンというのはめちゃくちゃ血糖値を下げるので、過剰分泌されると逆に血糖値が下がり過ぎちゃうんです…orz この急激な血糖値の低下のことを「低血糖症」と言うんです。

この「低血糖症」になるとインスリンを出している膵臓が、インスリン出し過ぎで機能不全になっちゃいます。機能不全になれば、「糖尿病」「メタボリックシンドローム」といった現代病につながっていくんです。

確かに小さい頃から

どんぶりご飯何杯も食べたし、ケーキ、チョコ、ジュース、スポーツドリンク…etc

糖類ってめっちゃ溢れている!!!

そりゃ注意しないと糖類の過剰摂取になっちゃいますね。って怖いな〜( ;´Д`)

糖類の過剰摂取っていつから始まった!?

では、今でこそ糖類の過剰摂取は当たり前みたいになっていますが、一体いつから糖類の過剰摂取が始まったんでしょうか???

それはズバリ

『農耕の開始』だと言えると思います!!!

精製された糖類は、精製されていないものと比べて急激に血糖値を上昇させてしまう。なぜなら穀物は、外皮にこそビタミンやミネラルが含まれており、白い砂糖や、白い米、白い小麦など、精製された穀物は糖類の塊になっているのである農耕が始まったのは1万〜1万4000年だと言われています。なので人類が誕生してから700万年のうち、そのほとんどが肉食で生きてきたのです。

つまり農耕の開始は人類にとってはつい最近のことであり、農耕の開始に伴い栽培された穀物の摂取によって、それまでの肉食で食べていた糖類のバランスが崩れてしまったと考えるのがベターだと思います。

けれど糖類ってのは肉にも魚にも最終で食べていたナッツにだって含まれるものです。

それに「糖尿病」や「メタボリックシンドローム」は現代病って呼ばれるぐらい現代に蔓延している病気です。そこにはどんな違いがあるのでしょうか?

精製された糖類こそ身体の退化を進める!

小麦や米などの穀物は、18世紀に欧米で初めて小麦の精製技術が開発され、日本では、江戸中期に精米技術が向上し、白米を食べる習慣が定着しました。

すなわち、ここ200〜300年の間に、世界各地で精製された糖類が摂取できるようになったのです。

精製された糖類は、精製されていないものと比べて急激に血糖値を上昇させてしまいます…orz

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なぜなら穀物は、外皮にこそビタミンやミネラルが含まれており、白い砂糖や、白い米、白い小麦など、精製された穀物は糖類の塊になっているのです!!!

糖類の塊になってしまうと、さっき述べたように血糖値を急激に上昇させてしまいます。

つまり約1万年前から農耕の始まりと共に糖類の摂取量が増加し、ここ200〜300年で糖類の塊を食べるようになってきたことが、結果として身体の退化を進めた!

というのが結論になりました♪( ´θ`)ノ

断糖肉食をやってみて

こんなことを調べたもんだから、ちょっと断糖肉食をやってみようかななんて考えちゃいました( ´ ▽ ` )

なのでやってみた感想などをシェアしてみようかなと思います!

最初に言っておきます!断糖肉食はやってませんm(_ _)m

僕がやっているのは断糖肉食っぽいことをやってます。笑

もちろんあれだけ調べているので甘いものはやめていますが、白米などは今までより半分以下に減らしている感じです!

 

でもそれだけでも僕はすごく変化を感じました。

以下にその変化を記していこうと思います♪( ´θ`)ノ

まずびっくりしたのは精神が安定してきたことです!

今までだったらイライラしたり、めちゃくちゃ悩んでいたことに振り回されなくなりました!
次に感じたのは身体の不調からの回復が早くなったことです!

急に食を変えたので身体がびっくりしたのか風邪になったのですが、なってからの回復がすごく速かったです!

最後はすごく集中できるようになったことです!

逆に言えば今までいろんなことに捉われていたのが、すっと一本に定まり惑わされなくなりました!自分が本当にやりたいこと、好きなことに集中できるようになり、その集中力が半端なくなりました♪( ´θ`)ノ

まとめ

ここまで見てきたことをまとめてみたいと思います。

僕が必要だなと思ったのは、

精製糖の危険性を理解し、大事だと思ったらやめてみる!

です♪( ´θ`)ノ

ただ糖が悪かと言われれば、それにはNO!!と言いたいと思っています。

それを理解するにはケトン体について調べなきゃいけないのでまた今度にします。

ただ今の時点で考えるのは、

常に飢餓に不安を持っていた先住民は、糖によって溜まった脂肪を燃やして飢餓を乗り越えていたということです。

完全な『断糖肉食』というのは理想ではあるけれど、

飽食という食に恵まれた現代ゆえの食事法なのかもしれません♪( ´θ`)ノ

 

こうじ

本当に好きなことに熱中する。それが豊かさの指針だ。

地獄の中でいい子になる

小さい頃から僕は勉強が嫌いだった。というか僕は人に何かを強いられるのが嫌いなのである。特に学校での勉強は地獄の様だった。好きでもないことを机の前で延々とやらされて勝手にテストで評価されうまくできないと怒られる。「なんでこんなことやらなきゃいけないのか」と何度思ったかわからない。しかし学校ではいい子にしている方が波風を立たずに済む。だから僕はいい子になることを決めた。どんなに先生に反抗心が出ていても言葉に出さずに飲み込み、どんなに嫌でも怒られない様に勉強して、少しでもその枠からはみ出そうとする奴がいたら注意をした。「勉強もスポーツもできるしリーダーシップもあって、こうじ君に任せていれば先生はいつも安心なんですよ。」と3者面談ではよく言われたものだ。地獄の中でいい子になってここまで生き残ってきた。

机なんか飛び出しちゃえ

僕はとにかくひねくれ者だと思う。とにかく強いられることに対して敏感で拒否反応がすごい。「Aをしろ」と言われたら必ず「自分でBを探す」。なんでそんなことをしているのかといえば「認めてもらいたい」からだ。それ以上の理由はない。僕は自分で考えて自分で行動することを「認めてもらいたい」し「応援してもらいたい」それが何より「自分への信頼」だと感じるのだ。なんで自分がこんな風に感じる様になったかは学校教育という環境が少なからず影響していると思う。人はいい意味でも悪い意味でも環境に左右される生き物だと思っている。だから環境を変えることも一つの選択肢だと思っている。僕の立場からすれば「机なんか飛び出しちゃえ!」なのだ。

こころが動くから学びたいと思うんだ

僕は2月13日〜「国際ボランティア」という授業でタイにボランティアをしに行くことになっている。↓↓↓

海外ボランティア・国際ワークキャンプ・タイ・環境・修復・開発

その事前研修として1/23〜24でプレワークキャンプをしてきた。

集まったメンバーのほぼ全てが同世代の大学生だった。そんなメンバーの最初のワークは英語での他己紹介。机の前じゃ体験できない緊張感だった。どうやったら伝わるかな?もっと詳しく説明したいな!そんな思いが僕の中で巡った。僕は本を読んだり知識を入れることを否定はしないけど、こんな風に気持ちが動いていない時に知識を入れようとすれば、その知識がどんなに素晴らしいことだとしても体は拒否するようにできているのだと思う。だからこそ、こころが動くような体験をすることが僕は必要だと思っている。こころが動くから学びたいと思うんだ。

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仲良くなるのは本当に簡単だ

f:id:KojiBlog:20160126215547j:plainメンバーは本当にいろんな背景を持っていた。パッと集まって仲良くなれるのか?そんな不安が僕を包んでいたが、そんなものはいらないものなんだと今回感じた。僕たちに課されたワークは竹を使ったジャングルジム作り、薪割り、火おこし、食事作りなどであった。こんなことを一緒にやっているうちに、初めて会ったことを忘れるぐらい仲良くなっていた。多分だけど、何か共通の意識があって協力して楽しむことができたら人は簡単に仲良くなるのだと思う。そんな場にいるとすっごい楽しいし、俺って生きているなと感じることができる。僕はそんな場が大好きだ。

強いることは強さなんかじゃない

僕は遊ぶことが学ぶことだと思っている。なぜか?理由は簡単。遊んでる方が好きだから。遊んでいる方が身につくからだ。だからみんなに当てはまるとは限らない。でも僕は遊んでいる方が学びになる。好きなことで思いっきり遊んでいたい。僕がそんなことを言おうとすると「そんなことでどうする」といつも言われる。でもそれは僕のこころの動きだからどうしようもないんだとしか言いようがない。正直、今まではそんなことを言ってくる人に僕のやることを認めさせたかったけど、なんかめんどくさくなった。だから「そんな考え方もあるよね」と受け止めて「やっぱり俺はこれだわ」って貫くことにした。それが間違っていたんだなと感じればまたやり直せばいい。人生は一つの道じゃないし、何度でも自分で切り開いていろんな壁にぶつかっては軌道修正する。そんな風に生きるのが僕の生き方だと思っている。これが正しいかどうかなんてわからない。僕にとっては正しいけど他の人にとっては違うかもしれない。でもそれはそれでオッケーだし、みんながみんな楽しいこと好きなことをすればいい。だから僕はお勉強が好きな人に遊んだ方がいいと強いることをやめて、勉強するのに疲れて遊びたいと思っている人と一緒に遊ぶことにするんだと決めたんだ。そこでの出会い、そこでの学びこそ僕には必要だ。そういった意味では今回のプレワークキャンプは本当に楽しかった。みんな本当にありがとう!またそれぞれの場所で感じたことをシェアしようね!

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体験はみんなを豊かにする

あと少しだけレポートが残っているが、大学1年生はほぼ終わりを迎えている。僕の入った大学は世間から見れば底辺の大学だ。でも僕は本当に入学してよかったと思っている。(入学前は多大なるご迷惑をおかけしましたm(_ _)m)ただそんなこと言っても僕はお勉強が嫌いなので大学のほとんどの授業をテキトーに受けている。ただその中でも幾つかめちゃくちゃ真面目に受けている授業もある。その中の一つが茶道だ。f:id:KojiBlog:20160126231042j:plainこの茶道によって今の大学に入ってよかったと思わせてくれる出来事が最近あった。茶道の先生は筆記をあまり重視せずに体得を重視していた。だから僕は楽しすぎてとにかくのめり込んだ。たった1年だけだが簡単なお手前だけはほぼ完璧にできるようになった。先日授業が終わったので茶道具を持ち帰ってきた。すると家族が興味を示して「お茶をたててみてよ!」と頼まれた。親父、お袋、兄貴。えっ兄貴!?まさかの兄貴がお茶をたてて欲しいと頼んできたのだ。僕の兄貴は家族との会話はあまり多くない。むしろ少ないほうだ。だから僕の家族の中では家族4人が揃うことなんて本当に珍しいことだ。それが僕が茶道を体得していたことによって揃ったのだ。そして「おいしいな。ありがとう」と僕に語りかけて家族に笑顔が生まれた。僕がやったのはただの茶道かもしれない。けどその体験は確実に僕の家族を豊かにした。本当に好きなことに熱中しているとなぜだか周りまで豊かになっていく。豊かさとは社会的にはお金が重要視されているが、僕はちょっと違うんじゃないかと思う。本当に好きなことに熱中する。本当に好きなことに熱中していれば、その体験が周りの人を笑顔にする。そんな瞬間こそが僕の豊かさの指針だ。

 

こうじ

年末年始に感じたこと

2016年は早くも1週間が経った。大学も始まり少しずついつものルーティーンに戻りつつある。いろんなことがあった年末年始だったからここらで振り返ってみることにする。

バイト、バイト、バイト…

今年の年末は23日から冬休みが始まり、そのほとんどをバイトに費やしていた。悲しくも彼女がいないからクリスマスもバイトだった。しかしバイト納めだった30日にはなんだかやりきった感覚が残っていた。

鼻水、痰が止まらないよ

珍しく体調を崩した。結構熱もあってその期間のバイトは倒れそうだった。しかし『食うな、動くな、寝てろ』ですぐに復活した。ただ鼻水と痰が止まらなかった。。。真っ黄色だった。夜も鼻が詰まってしまい寝れず、朝起きれば口呼吸で口の中はカラカラ状態で朝からブルーに…なんだかやる気も起こらなかった。病気になってみて、吐き出したことで、久しぶりに心と体が繋がった気がした。

 

koji-diary.hatenablog.com

 

子ども達が大好きだ

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年末にあった一番大きな出来事といえば、12/28に行った児童館へのボランティアだろう。「ボランティアと社会」という授業で、興味のあるボランティアを学生自身で企画をしてアポを取り実行する。僕は子どもと教育にずっと興味があったので児童館へ行くことにした。児童館へ入ると3秒で6人の子供達に抱きつかれた。『一輪車しよう!』『鬼ごっこしよう!』『ねぇねぇ何歳?』『名前は名前は〜?』『遊ぼうよー!』『大学生のお兄さんだ〜!』一瞬で6人に同時に話しかけられ『俺は聖徳太子じゃない!』と突っ込みたくなった。笑 しかしどこまでもまっすぐに正直に気持ちを伝えてくる子ども達の姿に触れると、氷のように固まっていた心が溶けていくような感覚になった。すると少しずつ小さい時の気持ちを思い出すように子ども達以上に遊んでいるようになった。6時間という短い時間だったが本当に濃い時間だった。校門を出てからも『また来てね!』『絶対に忘れないでね!』そんな声が静かな街中に響いていた。そんな瞬間に立ち会えた時は目に光るものが浮かんできていた。『必ずまた行こう!』そう決めた。

祖母の他界

この年末年始で一番大きい出来事といえば祖母の他界だろう。僕と同じタイミングで体調を崩し一時は鼻歌を歌うまで回復したが、その後また体調を崩し元旦に他界した。94歳だった。正直なところ僕は『ああしなさい!』とお節介な祖母と距離を取っていた。母との関係も良くなかったし僕の中では完全に『臭いものには蓋』状態だった。しかし今年1年、田中信二氏の元でぶつかった中で『どうしたらぶつからないで分かり合えるようになるか?』を考えるようになっていた。祖母は94歳で耳も遠く、友達はみんな先に逝ってしまっている。そんな中で話し相手が家族しかいなかった。そんな祖母を『なんだあいつ!』と思っていた自分に気づいた時に『あぁちゃんとばぁちゃんの話を聞いてげてなかったな。寂しかったんだろうな。』と気づき行動が変わった。祖母が他界したのはそんな風に自分自身の捉え方が変わった1週間後だった。最後の3~4日間は『痛いよ…痛いよ…』と声にならないような声で常に訴えかけていた。そんな祖母が急変したのは元旦だった。『服を着替えたい!』と訴えていたので、父と母と自分の3人で支えながら着替えをした。そして着替えが終わった瞬間に祖母の顔がスッと柔らかくなった。それまでの痛みを訴えていた顔とは明らかに違った。本当に穏やかだった。それと同時に少しずつ体の力が抜けていくのがわかった。そしてその2時間後に祖母は94歳の人生に幕を下ろし天国へ旅立った。人の『最後の瞬間』の姿はとっても美しかった。

強烈なまでのかまってよ!アピール

祖母の他界によって何年かぶりに親戚が一堂に集まった。僕は19歳にして5人の甥っ子がいる。その中でも一番上は高1なので僕は3歳で叔父になったことになる。笑 お葬式の間にそんな甥っ子たちとめちゃくちゃ遊んだ。すごい楽しかったのだが、その中でも1人の甥っ子は強烈なまでの『かまってよ!』アピールをしてきた。児童館でも似た光景があった。『こうちゃんは私のもの!』そんな言葉を何度も聞いた。なんだか自分の姿を見ているみたいだった。僕もかまって欲しいとすごく思う。ただ甥っ子や児童館の子ども達とは違いあまりアピールをしないようになってきてしまっている。愛が欲しいとわかっているのに、いざそんな場面になると突き放してしまう。なんでだろう?とわかっても反射的に体反応してしまう。そんな自分の姿を客観的に見ていると『この子達は愛が欲しいんだろうな』となんとなくわかった。もちろん両親から愛を受けるのが一番に決まっている、でも人にはいろんな事情がある。家族を守るためにどうしても働かなきゃいけない時だってある。それならそんな子ども達の愛を少しでも満たすことができる存在になろうと密かに心に誓った。

あとは任したよ

祖母には『なんだうるさいな!』という気持ちを抱いていながらも毎月のお小遣いはずっともらっていた。すごく甘えていたわけだ。しかし祖母は母と喧嘩したりお節介なことを言ってみんなから煙たがられていたとしても、他界する前日まで支えられながらも自分でトイレに行っていた。最後まで自分のことは自分で責任を取っていた。そんな姿を僕に残してくれていた。そんな祖母に手を合わせた時『本当に今まで跳ね返してばっかりでごめんよ。今までありがとう。ゆっくり休んでね。』という祈りと共に目から雫が溢れていた。『あとは任したよ』そんな声が聞こえてきた気がした。

2016年のこうじ

今年は『やりきる』ことをテーマにする。いつでも食卓には食事が並び、洗濯はいつでも綺麗にたたんでタンスにしまってあった。何よりお金には困ったことはなかった。祖母からは毎月お小遣いをもらい、田中信二氏にはタダでセミナーを受講させていただき寝泊りする場所まで用意してもらっていた。それが当たり前だった。しかし今年はそれがもうない。祖母は他界した。セミナールームは飛び出した。僕には何も残っていない。だからこそ始める。そして『やりきる』んだ。2月にはタイに行く。そこでどこまで話し合い、ぶつかり合いより良いものにできるかまずは試されるようになる。全てが自分の成長を後押ししてくれているように感じる。まずはしっかりと借金を返済するために働くこと。それと共に積極的に家を飛び出しフィールドワークで学ぶこと。苦しむこともあるだろうし、喜びだってあることだろう。祖母から任されたこの命を精一杯使って、19歳だから感じられることを精一杯感じる。そんな1年にする。

 

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この写真は昨日行った東京都埋蔵文化センターの写真。縄文時代にタイムスリップしたようだった。竪穴式住居の中での焚き火はなぜか心が癒されてその場で1時間を過ごしていた。こんな静かな時間が今年はあってもいいなと感じた時間だった。

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こうじ

初めての2015年。

もう少しで2015年が終わりますね。
今年は14年続けてきたサッカーがない年でした。
そんな今年は良いことも悪いこともいろんな初めてを経験した年だったと思います。

 

今年の初めてを少し振り返ってみる

1月、人生で初めての受験勉強と家族との大喧嘩をしました。


2月、初めての受験と弟子入りをしました。国際ブレインアップデート協会の会長である田中信二氏の元に訪れ、初めて会った日に弟子入りをさせて欲しいとお願いをして、弟子入りをすることになりました。そして高校時代からお世話になっていた鈴木颯人氏の元でのスポーツメンタルコーチの資格講座がありました。


3月、初めてのアルバイトでお金をもらうことの尊さを学び、初めて講演会に参加して社会の現状を知りました。


4月、国士舘大学21世紀アジア学部へ入学しました。


5月、ブレインアップデート協会のトレーニングに初めて参加して、初めて下宿をさせていただきました。


7月、初めて免許取得と大学の試験をしました。


8月、ブレインアップデート協会の夏のトレーニングに参加して、最後まで参加できずに途中で家に帰りました。実践の仲間と初めて川でバーベキューしました。(初めて川に溺れかけたのは秘密です。笑)初めて実践でメンタル面のサポートをさせていただく機会をいただきました。


9月、初めて一人旅をしました。高速バスとレンタカーだけを予約して東北へ旅立ちました。


10月、初めてのサロンを借りてセッションを始めました。初めて志ビジネスプレゼンテーションに参加しました。そしてご縁で初めて雑誌のカットモデルで撮影をさせていただきました。


11月、桑原さんのスポーツ選手への想いに共鳴し初めて桑山コンビというものを結成しお互いに意見を出し合いました。初めて甘いものを食べることをやめました。


12月、ブレインアップデート協会のトレーニングで8月と全く同じ展開となりまた家へ帰りました。今回の初めては全てを捨てたことです。ブログ、YouTubeTwitter、トレーニングへの参加など今年1年積み上げたものを全て捨てて、まずは借金を返すために朝と夜のアルバイトを始めました。学校の授業で初めてボランティアを企画して実行しました。

 

書き出してみると結構多くの初めてが多かったなと思います。でもやっぱり今年の中で一番大きかったことといえば田中信二氏への弟子入りだと思います。1年間とにかくぶつかりまくりました。途中ではもうやめるという話までなりました。ですが最後には清々しくあのセミナールームを出ました。正直、あそこまで自分の嫌な部分を出しても受け止めてくれた人は家族以外では初めてでした。正直に生きることの大切さを1年間で身体を通して教えていただきました。

来年へ向けて

来年は初めてのタイでの海外ボランティアもあります。初めての海外で言葉も通じない、初めてのメンバーで息も合わない、そんな状況の中で正直に生きることができるのかが早速試されると思います。
ありがとう2015年。みなさん良いお年を!

吐き出しちゃいなよと呼びかけてくる。

吐き出しちゃいなよと呼びかけてくる。

喉が痛い。もう喉が痛くてしょうがない。痰がたくさん出てくる。ものすごく汚い。誰かが僕にもう観念して吐き出しちゃいなよ呼びかけてくるようだった。じゃあ僕が吐き出せないことはなんだと考えた時、やっぱり近い存在のことなんだなと感じた。戦争、飢餓、貧困、原発、TPP…そんな問題や課題にばかり意識を持っていたけど、それと同じぐらい家族、親戚、親友、恋人という自分に近い存在との問題も抱えている。まずは内側のこと近くとの存在の課題に目を逸らさずに向き合うことだと感じた午前中だった。

ぶつかりたくない

でもそんなこと言ったって僕はぶつかることが嫌いだ。戦争なんて最悪だと思っている。戦争の話題や特攻隊の話が上がると『どんなに美化をしたって戦争は戦争じゃないか!人殺しをどうして美化するんだ!』という気持ちが湧いてきてしまう。なぜそんな風に思うのか?『戦火の馬』を見終わった後に考えてみた。答えは僕がぶつかることをこれまで避けてきたからだと思った。たしかに彼女ができても喧嘩なんか一度もしたことないし、サッカーをやっていた時だって仲間と言い争ったことなんてほとんどなかった。僕はぶつかることをこれまでずっと避けてきたのかもしれない。

ぶつかっている姿は汚い

それでも僕の本音は『ぶつかる姿は汚い』だ。これは事実だと思っている。自分の主観をぶつけ合っていてなんの解決にもならない。そんな姿を晒すなんて本当に汚いと思う。ぶつかり合いは個人的な喧嘩から、団体になれば派閥争い、国レベルになれば戦争とつながる。さらにはそれで金儲けをしようと考えている輩がいるのだからもう最悪だ。『なぜもっと我慢できない』『なぜもっと相手のことを考えられない』『僕みたいにちょっと言いたいことを我慢すれば済む話なのに』そんな風に心の底から思っている。

汚いものこそ美しい

ぶつかっている姿は汚い。そんな考えはちょっと違うかもしれないと思わせてくれる出来事が先週あった。僕はいつものように祖父母の家にお手伝いをしに行った。そこで一通りのお手伝いを終えた後、なんと祖父母達は親戚の中ではタブー化されていた話を僕に話し始めてくれたのだった。詳細は書かないが、その内容は端から見たらすごく汚いことだ。だから僕や親戚はこれまでずっと触れずに生きてきた。しかし祖父母達は汚いことを隠さず話してくれた。良いことも悪いことも正直話してくれた姿は汚かった。でもそれ以上に美しかった。あぁ汚いものこそ美しいのかもしれない。そう率直に感じた。

本当はぶつかりたい

ここで僕の好きな歌手を紹介したいと思う。「高橋優」という歌手だ。最近はダイハツのCMなどでも起用され少しずつ有名になってきている。その中でも僕の一番お気に入りは『駱駝』という曲だ。


高橋優 「駱駝」

『大人はバカだから』『世間体はカスだから』

そんな汚いところを隠さない言葉を必死に語りかけようとする中学生の僕は憧れた。僕は小さい頃から色んな思いを持ちながらそれを出さないようにしていた。でも本当は吐き出したいという本当の気持ちがあった。『ばかやろう』『くそやろう』『俺の方が正しいんだぞ』自分では言えないけど高橋優が代弁してくれていると、本当に苦しい時、吐き出したい思いがある時『あぁそうだよな、そうだよな』と思いながら高橋優に自分を投影するようになった。汚い自分の姿を隠しながら心の奥底ではぶつかりたいと思っていたのだ。

ありったけの愛を込めて、この街を全部ぶっ壊そうぜ。

僕は今年、様々な人とぶつかった。そのおかげで自分自身の気持ちを吐き出すことができた。人生で始めて本気でぶつかり合った1年だったと思う。でも誰もがそんな僕を誰しもが愛を持って受け入れてくれた。そんな僕がいま感じているのはぶつかる目的は相手に何かをぶつけることじゃないんだなということだ。もちろんぶつかるのだからそれは何かを相手にぶつけようとする。でも相手にぶつけようとしたのと同時にそれは自分に返ってくる。ぶつかるのは相手にぶつけるためじゃない自分を壊すためだ。相手のことを本気で愛すと同時に自分を愛するためにぶつかるんだ。『ありったけの愛を込めて、この街を全部ぶっ壊そうぜ。』そんな歌詞がどこからか聞こえてくる気がした。

それにしても、今日の夕焼けはすごい綺麗だったな。

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こうじ